2012-01-01から1年間の記事一覧

兵馬俑考古はつづく

秦始皇帝陵の兵馬俑1号坑第3次発掘について、ネット報道でみたところをざっとまとめておきます。 102件の陶俑があらたに出土したとのこと。彩色が残っているものも出てます。 首なしの巨人俑が出土していて、足のサイズは54センチ。身長は首を含めると2.3m…

項羽の字

『史記』項羽本紀第七の冒頭に、「項籍者,下相人也,字羽」(項籍は下相の人である。字は羽といった)とある。三家注のひとつ『史記索隠』は、ここについて「按,下序傳籍字子羽也」(調べると、下って序伝に籍の字を子羽としている)と注釈している。序伝…

亦巴哈とか只魯古素とか

亦巴哈という金国の軍人は史書に知られていないのですが、チンギス・カンがケレイトの王罕(オン・ハン、トオリル)を打倒したとき、王罕の弟の娘を妻に迎えていて、その女性を亦巴哈(イバガ・ベキ)といいます(『元朝秘史』巻7)。チンギスの四男トゥルイ…

中国史Togetter

Twitter上の議論をまとめたTogetterも玉石混淆しつつ「歴史」のアーカイブとなるのかいなと呟く今日このごろ。 お菓子っ子さんによる古代中国の共通語事情 http://togetter.com/li/313259 後漢末における経済問題 http://togetter.com/li/313911 お菓子っ子…

城市の人口

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1205/28/news004.html この表は中国史オタの目からみると、やはりツッコミたくなります。Wikipediaの「歴史上の推定都市人口」が元ネタに近いところを拾っていて、わりと参考になります。というかTertius Chandlerの推…

「反乱」と「起義」の中国

中国の前近代の史書では、王朝への武力反抗が起こると、それは「乱」(亂)と書かれた。乱とはみだすことやみだれることを意味し、そむくことを意味する「反」(叛)とあわせて「反乱」(叛乱)という語も造られた。「反乱」とは王朝への反抗という凶事であ…

呂伯奢は戦わない

『修羅の門』というかつて一世を風靡した中二格闘漫画があるのですが、現在『月刊少年マガジン』のほうで十数年のブランクを経て『第弐門』という名の2部をやってます。さいきんは呂布だの呂蒙だの蘭陵王高長恭だのが出ています。ここでは詳しく解説しませ…

国会図書館のデジタル化論文

国立国会図書館がデジタル化している博士論文のうち著者から許諾を得られた約1万5千点がインターネット公開されたとのこと。 http://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2012/1194690_1827.html 以下に中国史関連論文を抜き出しておく。 佐藤達郎「漢代人事制度の研究 …

「呉興閨閥」を仮構してみる

『陳書』をみると、南朝陳の皇帝の一族である呉興郡長城県の陳氏とその外戚である呉興郡武康県の沈氏の関係の深さが浮かび上がる。地縁と血縁で強く結ばれた関係は王朝の核として初期には順調に機能したが、後期には悪しき内朝ローカリズムとして王朝のバラ…

楚簡に『左伝』が

ここ数年は清華大学の楚簡がアツかったのですが、今年からは浙江大学の楚簡がアツくなりそうです。さて浙江大学蔵戦国楚簡は、2008年に香港の闇市場に出たものを、翌年に浙江大学OBの芸術基金会理事が中国に買い戻し、現在は浙江大学が所蔵しているという…

ウィットフォーゲル的な延長かしらん

近世中国が低徴税・高公共財の社会だったという言説から派生したあれこれ。 岩井茂樹『中国近世財政史の研究』と・・・(Togetter) http://togetter.com/li/287615 ある顛末(梶ピエールの備忘録。) http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20120417/p1 西洋と中国…

2011年度の中国十大考古新発見

4月12日から13日にかけて、2011年度全国十大考古新発見最終選評会が北京の国誼賓館で開かれ、2011年度の中国における考古新発見のうち最終選考に残った25項目から10項目が選出されました。 選ばれたのは、 河南省鄭州市老奶奶廟の旧石器時代遺跡 福建省漳平…

窓に!窓に!

クトゥルーネタの旬を逃すべきではあるまい。 『晋書』巻94 列伝第64 隠逸 祈嘉字孔賓,酒泉人也。少清貧,好學。年二十餘,夜忽窗中有聲呼曰:「祈孔賓,祈孔賓,隱去來,隱去來。修飾人世,甚苦不可諧。所得未毛銖,所喪如山崖。」旦而逃去,西至敦煌,依…

Wikisourceの中国史籍テキストはどのくらい使えるか

Wikisource中文版の「史書」 http://zh.wikisource.org/wiki/Wikisource:%E5%8F%B2%E6%9B%B8 から中国史料の電子テキストのいくつかを見ることができます。 テキストの質はどうかというと、Wikisourceテキストの信頼性はやや低いです。中文Wikiは繁体字表示…

「おカネがあっても」

枝葉末節ながらツッコんでおこう。 「僕らは評価経済の高度成長期に入った」 週刊東洋経済インタビュー ノーカット版掲載!(岡田斗司夫公式ブログ) http://blog.freeex.jp/archives/51322180.html 古代中国は評価社会。おカネがあっても、家柄や名声がない…

庚父丁尊

陝西省宝鶏市渭浜区石嘴頭村で西周初期の青銅器「庚父丁尊」が出土したというニュース。 「尊」というのは、ラッパ状に開く口と、高い圏足を持っている酒器です。 今回出土した尊の圈足の内側には、「亞」字型の族徽と「庚父丁」の銘文が鋳込まれているとの…

「過秦論」の六国人物

賈誼の「過秦論」に 於是六國之士有甯越、徐尚、蘇秦、杜赫之屬為之謀,齊明、周最、陳軫、召滑、樓緩、翟景、蘇厲、樂毅之徒通其意,吳起、孫臏、帶佗、兒良、王廖、田忌、廉頗、趙奢之朋制其兵。 という一節がある。戦国六国の謀士と縦横家と兵家を列記し…

河了貂の実在について

追記:↓エイプリルフール記事でした↓m(_ _)m 『元和姓纂』巻六によると、河了氏は三苗の後裔であり、巴賨の梟鳴の子孫であるとされる。『華陽国志』巴志によると、周の慎王五年秋に秦の大夫張儀・司馬錯・都尉墨らが蜀を討ったとき、巴の河黒卑が秦に帰順し…

史嵩之の墓の発見

南宋の丞相の史嵩之(?-1256)の墓がみつかったそうな。 http://news.xinhuanet.com/tech/2012-03/27/c_122888091.htm 夫人の趙氏は趙匡胤の子孫で魏国夫人の封号を受けたとさ。

枎枎=長孫の説

『全北斉北周文補遺』を見てたんだけど、「枎枎榮造像記」の枎枎榮って、北周の義門郡公・玉壁總管の長孫澄の関係者じゃね?「枎枎榮造像記」によると、枎枎榮は北周の天和六年(西暦571年)に勳州刺史・義門郡開国公をやってるんだけど、勳州って玉壁に置か…

計然と文子

『史記』貨殖列伝に、越王句践に仕えた計然という人物が登場する。食糧備蓄の調整により食糧価格を統制しようとした経済家であり、前漢の平準法の先駆けとなる政策を提唱した人物である。貨幣経済の重要性を早くに認知していた人物でもあった。 『史記集解』…

成恢とか汗明とか

成恢は『戦国策』の魏策二「楚王攻梁南」と韓策三「韓氏逐向晉於周」に登場する。事跡のよく分からない人だけど、おそらくは韓の人ではないし、紀元前4世紀後半に活動した人なので、時期が1世紀くらいずれている。 汗明は『戦国策』楚策四「汗明見春申君」…

劉仁願紀功碑

例によって例のごとくテキトーなメモ。 蓋聞龍躍天衢必藉風雲之力聖人膺運亦待將帥之功方邵萬□□□□周衛霍馳節於強漢其能繼□歌詠者惟在劉將軍乎君名仁願字士元雕陰大斌人也□土開家□□ 建旆於東國分茅錫讓王孫杖節於北疆三楚盛其衣簪六郡稱其軒冕分枝布葉可略而…

孔明の字

諸葛孔明のあざなは、 『北堂書鈔』巻第四帝王部四應運十一の 「天命定爾亦孔之明」 (天命がここに定まったというのは、またたいへんはっきりしたことである) から来たという珍説を考えた。残念ながらそんだけである。

清代の辮髪ミイラ

福建省寧徳市霞浦県の古墓が盗掘を受け、保存状態のいい清代の官僚のミイラが発見されたというニュース。副葬品などは盗掘にやられてないようですが、残された石碑によると、墓は光緒8年(西暦1882年)に建てられたもの。墓主の姓は王、名は弼庵、号は太原…

楚国の名称の由来

武大教授羅運環:清華簡掲示楚国名称由来(荊楚網) http://news.cnhubei.com/hbrb/hbrbsglk/hbrb06/201203/t2006804.shtmlこのブログでも何回か取り上げてきた「清華大学蔵戦国竹簡」ですが、そのうちの一篇である「楚居」が楚国の名称の由来となるエピソー…

またまた禰軍墓誌について

百済人将軍「袮軍」の墓誌に記された日本という国名 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_03_10.htm などいくつかのサイトからうちの記事にリンク貼っていただいたおかげで、日本古代史方面からもお客が来られているようです。 亭主は中国史の分野でも…

石炭の利用

中国の伝世史料では、石炭のことを「石涅」、「石墨」などとも呼んでいた。 『山海経』西山経の「女牀之山, 其陽多赤銅, 其陰多石涅」の石涅は石炭のことともいわれている。 「石炭」の語そのものも、『隋書』巻69王劭伝に「今溫酒及炙肉,用石炭、柴火、竹…

野尻抱介『南極点のピアピア動画』

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)作者: 野尻抱介,KEI出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2012/02/23メディア: 文庫購入: 19人 クリック: 626回この商品を含むブログ (120件) を見る野尻氏の悪ノリが楽しい連作集。言うまでもなくニコニコ動画とボーカロ…

隋代の江都について注目すべきこと

1.南朝の陳が滅ぼされ、建康が廃城となったこと。589年に南朝の陳が滅ぼされ、南朝の人士の多くは長安に連行された。『隋書』五行志下に「及陳亡、建康為墟」というように、六朝の都だった建康のインフラは徹底的な破壊を受けたと考えられる。 2.589年に…