2024-01-01から1年間の記事一覧

紫式部の父、北宋へ??

榎村寛之『謎の平安前期』(中公新書)を斜め読みしていたら、p.223に「『宋史』「日本伝」には、十世紀に越前に渡来した宋の商人、羌(周)世昌が当時の漢学者として知られた藤原為時(紫式部の父)の漢詩を「言葉こそ多いが浅薄だ」と評した記録がある」と…

皇后の「崩」

「崩」は辞書的には天子の死、帝王の死を指すことになっているが、皇后や皇太后の死去のさいにも使われている。皇帝の母や妃嬪が皇后や皇太后に追尊されたケースも含まれている。 「而王太后後孝景帝十六歲,以元朔四年崩,合葬陽陵」(『史記』外戚世家、孝…

「泥のように眠る」の「泥」はたぶん海中生物です

はてな匿名ダイアリーの「泥のように眠る」の「泥」は生物のことなのか?https://anond.hatelabo.jp/20240308231551の記事(以下、増田記事と略す)が面白かったので、少し調べてみました。 まずは最古の漢字字典といわれる後漢の許慎『説文解字』巻十一上、…

二王後三恪

『漢書』王莽伝中に「周以舜後并杞、宋為三恪也」とあり、周代には舜の後裔と杞(夏の後裔)と宋(殷の後裔)を三恪としていたという。いっぽう『三国志』魏書崔林伝は「周武王封黃帝、堯、舜之後,及立三恪」とあり、周の武王は黄帝・堯・舜の後裔を三恪に…

北斉高氏が鮮卑である6つの理由

姚薇元『北朝胡姓考(修訂本)』(中華書局,2007)pp.146-148に北斉高氏の出自を考証されているので紹介します。姚薇元はまず『魏書』官氏志の「是楼氏が後に改めて高氏となった」を引き、『通志』氏族略や『古今姓氏書弁証』の「是婁氏が改めて高氏となっ…

侯莫陳氏と白水郡

侯莫陳相の父の斛古提は「朔州刺史、白水郡公」であったという(『北斉書』侯莫陳相伝)。 侯莫陳相自身も北斉の天保七年春正月辛丑に「白水郡王」に封ぜられている(『北史』斉紀中)。 侯莫陳悦は北魏の建明中に車騎大将軍、渭州刺史に任じられ、爵位を白…

東魏安平王始末

『北斉書』宋遊道伝に「魏安平王坐事亡、章武二王及諸王妃・太妃是其近親者皆被徵責」とある事件については良く分かっていない。「魏安平王」とはおそらく北魏の後廃帝の子の元黄頭のことであり、「章武二王」は章武王元景哲ともうひとりの誰かのことではな…