東魏安平王始末

 『北斉書』宋遊道伝に「魏安平王坐事亡、章武二王及諸王妃・太妃是其近親者皆被徵責」とある事件については良く分かっていない。「魏安平王」とはおそらく北魏後廃帝の子の元黄頭のことであり、「章武二王」は章武王元景哲ともうひとりの誰かのことではないかと思われる。元景哲は後廃帝の兄にあたる。いずれにせよ東魏の高澄執政期に安平王元黄頭が事件に連座して逃亡し、その近親者の元氏皇族が処罰されたように読める。しかし『魏書』景穆十二王列伝下によると、元黄頭は「安平王」となったことはたしかなものの、「齊受禪,爵例降」とあって、北斉が建つまでは失脚したように読めない。逃亡した当人が逃げ得で処罰されなかったなどということがあるだろうか。