「おカネがあっても」

枝葉末節ながらツッコんでおこう。
「僕らは評価経済の高度成長期に入った」 週刊東洋経済インタビュー ノーカット版掲載!(岡田斗司夫公式ブログ)
http://blog.freeex.jp/archives/51322180.html

古代中国は評価社会。おカネがあっても、家柄や名声がないと何もできない社会だった。

なのだとさ。
史記』貨殖列伝に
「凡編戸之民,富相什則卑下之,伯則畏憚之,千則役,萬則僕,物之理也。」
(およそ戸籍に編入された民というものは、富が十倍あればこれにへりくだり、百倍あればこれを畏れはばかり、千倍あれば使役され、万倍あれば下僕となるのは、ものの理である。)
とあるのは、司馬遷の僻目ではないだろう。士農工商というように古代中国では商人の地位が形式的に低かったが、実際には商業で身を立てた金持ちの影響力には大きなものがあった。貧乏人が成り上がるのには商人が手っ取り早いといい、金もないのに仁義ばかり語るのは恥ずかしいというなど、司馬遷貨幣経済使徒でもあったのな。
結論:古代中国でもおカネはあったほうがいい。

蛇足:こういう言説が出てくるのも、もしかして後漢の名士論とかの影響かもね。でも逆に家柄や名声があっても、おカネがないと何もできないと思うよ。