蒙恬造筆のこと

 晋の崔豹『古今注』雑注第七に「世稱,蒙恬造筆,何也,答曰,蒙恬始造,即秦筆耳,以枯木爲管,鹿毛爲拄,羊毫爲被,所謂蒼毫,非兎毫竹管也」といって、秦の蒙恬が初めて筆を造ったという記述が見える。『史記孔子世家に「至於為春秋,筆則筆,削則削」とあるのは、司馬遷の勇み足だったのだろうか。
 結論をいうと、前世紀に湖南省長沙市の左公山楚墓から筆が出土しており、また河南省信陽市の長台関楚墓や湖北省随州市の曾侯乙墓からも筆が発見されていることから、考古的には筆の起源はすでに戦国時代に遡っており、蒙恬造筆伝説をもはや信用することはできない。
 許慎『説文解字』第三下聿部聿条に「所以書也,楚謂之聿,吳謂之不律,燕謂之弗」といい、筆条に「秦謂之筆,从聿从竹」という。筆は楚で「聿」と呼ばれ、呉で「不律」と呼ばれ、燕で「弗」と呼ばれていたわけである。孔子が『春秋』を書いたことはなくとも、筆を握ったことはあるのかもしれない。