日本・南海は越の分枝という説

 唐の徐堅の編纂による類書『初学記』巻八嶺南道第十一に「地理志云今蒼梧蔚林合浦交趾九真日本南海皆粤分」とある。参考として訳をつけると、

『地理志』にいう。今の蒼梧*1・蔚林*2・合浦*3・交趾*4・九真*5・日本・南海*6はみな粤(越)の分かれたものである。

 といったところか。「日本」以外に列挙された地名がいずれも郡名であることには留意が必要だ。
 正史の『漢書』や『晋書』や『隋書』にある地理志の現行テキストには、この記述は見られない。『初学記』の引用した『地理志』は何かというと、『新唐書』芸文志二にいう「鄧基、陸澄地理志一百五十卷」が取りあえず考えられる。ただし『南斉書』陸澄伝では相当する書名が「地理書」とされているし、『隋書』経籍志二でも「地理書一百四十九卷」とされ、『旧唐書』経籍志上でも「地理書一百五十卷」とされている。なにより引用の「日本」がもし国号を指しているのだとすれば、南朝斉のころの書物に出てくるわけがない。
 ということで、『初学記』が何の文献を引用したのか、ここにいう日本がわれわれの良く知る列島を指しているのか、いずれも結論はない。
 『晋書』四夷伝倭人条に「自謂太伯之後」というように、古代の日本人を呉と関連づける伝世文献は知られているが、越と関連づける文献はあまり知られていない。ただ近年には稲作の伝播や長江文明論と絡めて、古代日本と越との関係を語る議論も少なくない。上述のような断片的記事も多少の裨益があるかと、書いてみたところである。

*1:蒼梧郡-現在の広西自治区梧州市付近

*2:鬱林郡-現在の広西自治区貴港市付近

*3:合浦郡-現在の広西自治区北海市付近

*4:交趾郡-現在のヴェトナムハノイ付近

*5:九真郡-現在のヴェトナムタインホア付近

*6:南海郡-現在の広東省広州市付近