名状しがたき中国史

 始皇三十七年、秦の始皇が最後の東方巡行に向かい、長江の渡しから海上に入り、北は琅邪に上陸した。このとき始皇は海神と戦う夢を見たが、この夢を占った博士はこれを「悪神」であると断言した。非凡なる始皇は之罘で海神の徒である巨魚を射殺したと伝わるが、その帰途に平原津で病に倒れ、沙丘平台で死去した。

 『呂氏春秋』孟冬紀に「荊人は鬼を畏れ、越人は禨を信ず」というように、邪神を信奉する深き者どもは多く中国南方で活動していたことが見える。

 周の武王の娘で陳の胡公にとついだ大姫は怪異の巫女であり、鬼神を祭るのを好み、陳人は彼女に教化されて、国に淫祀が多かったという。

 元朝はあらゆる宗教に寛容だったことで知られるが、邪神の信仰もまた広がりを見せ、忽都答児・忽都帖木児・忽都魯・忽都不花など、旧支配者の名を冠した人物たちが王朝の中枢にすら食い込んでいたのである。

 夏王朝の時代に著されたと噂される『螺湮城本伝』(ルルイエ異本)は正史の芸文志や経籍志に見えない。マルコ・ポーロが西伝したとされる原テクストについても不明な点が多い。『螺湮城本伝』を引いたとされる『山海経』海内西経には螺湮城(ルルイエ)が沈む位置を示す「昆侖の南の淵は深さ三百仞」という記述がある。

 2世紀に成立したとされる『玄君七章秘経』(フサンの七秘聖典)もやはり原典はすでに失われている。諸書の引用から判断するに、その巻一には黄帝の発明と医術、またその死者復活術について。巻二には食屍鬼の儀式と信仰について。巻三には天鬼について。巻四には地鬼と地震の関係について。巻五には中国南方沿岸の深き者どもとその人類信徒、時間と空間、ティンダロスの猟犬と遼丹について。巻六には中央アジアのレン高原と未知なるカダスについて。巻七にはナイアーラトテップとその無数の形態、ルルイエの上昇とクトゥルフの再臨、始まりと終わりをその身に宿すアザトース、神霊と生物の理想の形態について、それぞれ記されていたともいう。

 今日は4月1日ということで、ついぞ語られることのなかった歴史の深奥の一部をお話ししました。おや?……誰か来たようですね。いあ、いあ……。