「過秦論」の六国人物

賈誼の「過秦論」に

於是六國之士有甯越、徐尚、蘇秦、杜赫之屬為之謀,齊明、周最、陳軫、召滑、樓緩、翟景、蘇厲、樂毅之徒通其意,吳起、孫臏、帶佗、兒良、王廖、田忌、廉頗、趙奢之朋制其兵。

という一節がある。戦国六国の謀士と縦横家と兵家を列記した部分である。蘇秦・蘇厲・楽毅呉起孫臏・田忌・廉頗・趙奢らは有名なので多言を要さないが、あまり知られない人物もいるのでメモしておく。おそらく当時は著名な人物だったのだろうが、伝記が現代につたわらないのだ。
甯越…寧越。趙の人。
徐尚…未詳。『古文辞類賛』過秦論注によると、宋の人。
杜赫…『戦国策』楚策などにみえる。楚の人。『呂氏春秋』によると、「杜赫は安天下を周の昭文君に説いた」。高誘によると「杜赫は周の人である」。
齊明…『戦国策』によると、東周の臣。後に秦・楚・韓に仕えた。
周最…周冣。周の公子。また秦に仕えた。『戦国策』東周策などにみえる。
陳軫…夏の人。斉に仕え、また楚や秦に仕えた。『戦国策』秦策などにみえる。
召滑…邵滑、昭滑とも。楚の人。また包山楚墓出土竹簡にみえる悼滑(卓滑)と同一人物とも。
楼緩…『史記索隠』は「魏の文侯の弟、いわゆる樓子である」という。『史記』には、趙の人で、秦の昭襄王十年に丞相となった楼緩もみえる。
翟景…未詳。
帯佗…未詳。王念孫は『易林』の「帯季、兒良明知権兵,趙魏以強」を引いて、帯季を帯佗とみなす。ただどちらが趙の人で、どちらが魏の人かは分からないとする。沈欽韓は『戦国策』西周策の宮他のことかとする。
兒良…未詳。『呂氏春秋』不二篇によると、「王廖の貴は先んじ、兒良の貴は後にす」。
王廖…未詳。同上。