中国史

睡虎地秦墓竹簡「編年記」と『史記』秦本紀

睡虎地秦墓竹簡「編年記」については、以前メモっておいたことがあるわけですが、https://nagaichi.hatenablog.com/entry/20111212/p1『史記』秦本紀と合わせ読んでみようというだけの企画です。1年ごとに西暦、秦簡「編年記」記事、『史記』秦本紀記事の順…

『古本竹書紀年』魏紀をテキトーに読みやすくしてみる。

▽『竹書紀年』は晋代に戦国時代の魏王の墓から出土したとされる紀年体史書です。▽宋代のころに散逸してしまって、近代に下って各種文献の引用を集めて再構成されました。▽『竹書紀年』には古本と新本があって、古本のほうが本物とされているので、古本のほう…

男色の中国史その1

お題のとおり。その1とつけたが、たぶん続きは書かない。 弥子瑕という人物が衛の霊公の寵愛を受け、桃を分けて一緒に食べたりしていたが、寵愛が衰えると余り物の桃を食わせたとされて罰せられたという「余桃の罪」の故事が『韓非子』説難篇に見える。 『…

「相邦」銘文をもつ文物

ざっとしたメモ書きなので、誤脱があればごめんなさい。戦国期の趙・中山・秦に相邦の官が存在したことが確実視される根拠はこのへんですね。「十八年相邦平国君鈹」(邢台市家蔵)「八年相邦建信君鈹」(北京故宮博物院蔵)「十七年相邦春平侯鈹」(北京故…

韓王信は代王となったのか問題

近刊の渡邉義浩『漢帝国 400年の興亡』(中公新書)p.23に「韓王信を代王として、国に封建する」と書かれています。古くは西嶋定生『秦漢帝国』(講談社学術文庫)pp.187-188に「高祖の六年(前二〇一)、すなわち高祖が天下を統一した翌年のこと、韓王信は…

始皇帝に仕えたベトナム人

秦が六国を併呑し、秦王が皇帝と称した。ときに我が交趾郡慈廉県の人である李翁仲は、身長が二丈三尺あった。若いときに郷邑に赴いて力役を供したことがあったが、長官に笞打たれた。そのため秦に入国して仕え、司隷校尉にのぼった。始皇帝が天下を得ると、…

八達と八愷

『晋書』宗室伝の「(司馬)孚の長兄の朗は字を伯達といい、宣帝は字を仲達といい、孚の弟の馗は字を季達といい、恂は字を顕達といい、進は字を恵達といい、通は字を雅達といい、敏は字を幼達といい、ともに名を知られた。故に時に号して八達とするのはこれ…

魯国の中の魯国

『史記』高祖功臣侯者年表および『漢書』高恵高后文功臣表によると、奚涓は舎人として劉邦の沛での起兵に従った。咸陽に入ると郎となり、漢に入ると将軍として諸侯を平定した。魯侯に封じられ、4800戸の食邑を得た。漢初のうちに軍中で戦没したらしい。功績…

長安の植物園

扶荔宮は上林苑の中にあった。漢の武帝の元鼎六年に南越を破ると、扶茘宮を建てて、得られた奇草異木を植えた。菖蒲(ショウブ)が百本、山薑(ゲットウ)が十本、甘蕉(サトウキビ)が十二本、留求子(シクンシ)が十本、桂(モクセイ)が百本あり、密香(…

代王嘉はなぜ代王を称したのか

戦国時代の末期に趙嘉という人物がいる。趙の悼襄王の長男として生まれ、太子に立てられたが、異母弟の趙遷に太子位を奪われた。悼襄王の死後に趙遷が即位して趙の幽繆王となった(『史記』趙世家悼襄王九年の条)が、紀元前228年に秦の将軍の王翦が趙の都の…

連鶏の計

353年、殷浩が北伐したとき、江逌がその下で長史をつとめた。殷浩は洛陽を占領したものの、姚襄の裏切りで危地に陥った。殷浩が江逌に姚襄を撃つよう命じると、江逌は鶏数百羽を集めて長繩で連ね、その足に火を繋いだ。鶏たちは解き放たれると、姚襄の陣営に…

李信は燕の太子丹を討ち取ったのか

ここでは久しぶりに書く気がしますが、別に中国史趣味を忘れてしまったわけではなく、ツィッターあたりでちょくちょく書いていました。ただツィッターでは長文がつらいので、今回はこちらで書きます。 以下は首級がどうとかいう話をしているので、そこが苦手…

唐の最盛期より後漢の領域が広いとみなされている?件

史上最も領土が大きかった帝国トップ20(哲学ニュースnwk) http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5047264.html このときも思ったのですが、唐の最盛期より後漢が広いってことはないはずなんですね。帝国の最大領域一覧(Wikipedia日本語版) https://j…

秦の大将軍について

キングダムで信・王賁・蒙恬は大将軍になれますか?(Yahoo!知恵袋) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11162587416無粋な歴史の話をすると、そもそも秦に大将軍の官がなかったんじゃないかという深刻な疑いがありましてな。『通典…

「邑姜」の墓出土か

陝西省宝鶏市の石鼓山墓地4号墓の被葬者が、太公望の娘で、周の武王の后である「邑姜」ではないかという説が出ています。 http://ex.cssn.cn/wh/wh_kgls/201607/t20160714_3121143.shtml 4号墓の副葬品から被葬者は女性らしいこと。4号墓と相似し、密接な…

秦信梁軍

趙の慶舎は『史記』趙世家に2カ所出てきます。孝成王十年の条の「趙將樂乘、慶舍攻秦信梁軍,破之」という記述と、悼襄王五年の条の「慶舍將東陽河外師,守河梁」という記述です。ちなみに後者について、岩波文庫の『史記世家中』P177が「慶舎は東陽に在り…

皇帝墓二題

呉の「孫休墓」の出土が、全然話題になってないなあ。といいつつ、亭主も一報をスルーしたんですけど。現時点での情報が少なすぎるんですね。盗掘の跡があるみたいですが、朱然墓の名刺みたいな何かが出てくるといいですねえ。 http://news.searchina.net/id…

周原遺跡から「姫生母」の銘をもつ青銅鼎が出た件。

http://www.chinanews.com/tp/hd2011/2016/01-14/600565.shtml http://news.xinhuanet.com/photo/2016-01/14/c_128628777.htm http://www.china.com.cn/education/2016-01/15/content_37582171.htm 陝西省宝鶏市の周原遺跡の西周末期の墓から「姬生母作尊鼎…

前漢景帝墓(陽陵)から最古の茶葉が出土した件

世界最古の茶葉発掘、人類はいつからお茶を飲んでいたのか?(GIGAZINE) http://gigazine.net/news/20160113-oldest-tea/ 陕西汉阳陵出土世界最古老茶叶 距今约2150年(陕西传媒网) http://www.sxdaily.com.cn/n/2016/0113/c324-5791589.html 汉景帝阳陵的…

始皇帝がらみの新史料らしい『趙正書』について

北京大学蔵西漢竹書(北大漢簡)のひとつ『趙正書』を訳してみました。ネットに落ちてたものをテキトーに直しただけなので、正確さは全く保証しません。 むかし秦王趙正が天下に出遊し、帰る途中に白人(柏人)にいたって病にかかった。〔趙正の〕病は重く、…

秦の咸陽と天の迷宮

本邦における秦代研究者の第一人者である鶴間和幸氏が奇妙な説を唱えているので、素人なりの批判をしておきたいと思います。 宇宙と地下からのメッセージ 〜秦始皇帝陵の謎〜で、 http://www.d-laboweb.jp/event/report/121011.html 咸陽宮はペガスス座、閣…

「始皇帝と大兵馬俑展」

とりあえず、頼まれもしないのに(余計なことを)、トゥギャッターにまとめておきました。すみません。 http://togetter.com/li/906997さて、気を取り直して、以下は個人的すぎる感想です。 ▼総じて統一前の文物のほうが興味深かったですね。というか兵馬俑…

桑乾王ふたり

「桑乾」というと、賈島の「度桑乾」や丁玲の『太陽は桑乾河を照らす』の河が想起されるだろうか。しかし以下は、桑乾河とは直接関連しない南北朝時代の小話である。『魏書』巻21上献文六王伝上に「曄,字世茂,衍封為桑乾王,拜散騎常侍,卒於秣陵」とある…

あざな開山

小ネタです。 「嶠字開山」(『晋書』巻75列伝第45「王嶠伝」) 「殷嶠字開山」(『旧唐書』巻58列伝第8「殷嶠伝」) 嶠という名の人があざなを開山というとは必ずしも限らないが、あざなを開山という人は名が嶠であるという法則があったりしないか。(正史…

南昌海昏侯墓の発見

http://ex.cssn.cn/lsx/kgx/201511/t20151105_2560206.shtml http://www.jx.xinhuanet.com/news/focus/2015-11/05/c_1117045911.htm http://news.xinhuanet.com/shuhua/2015-11/13/c_128424359.htm http://www.chinatimes.com/cn/realtimenews/2015111300454…

始皇帝と大兵馬俑展メモ

http://heibayou.jp/ https://twitter.com/heibayou2015 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1732 http://www.museum.or.jp/modules/topNews/index.php?page=article&storyid=3489「立射俑」「将軍俑」「軍吏俑」「跪射俑」「馬丁俑」「雑…

『仙術士李白』

葉明軒『仙術士李白』(角川コミックス・エース)が出ていました。台湾角川の電子雑誌『FORCE原力誌』で連載中の葉明軒『大仙術士李白』の日本語版です。 ちなみにComicWalkerで最新話が読めたりします。 http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_TW01…

昌平君「熊啓」説

秦の始皇帝に仕え、後に楚王となった昌平君の事跡はたいしたことは分かっていません。そもそも「昌平君」というのも封号であって、本名も知られていないのです。まずは司馬遷『史記』秦始皇本紀第六の記述から見ていきます。 「(九年四月)長信侯毐作亂而覺…

キトラ古墳天文図メモ

明日香村のキトラ古墳石室の天井に描かれていた天文図が、古代中国での観測に基づいていたとする研究について報道がありました。 キトラ古墳:天文図は紀元前後中国で観測された星の可能性(毎日) http://mainichi.jp/select/news/20150716k0000m040084000c…

アメリカの甲骨文字

Ancient Chinese script may prove Asians discovered America 3,300 years ago(Daily Mail Online) http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3152556/イギリス『デイリー・メイル』紙による面白ニュース。アメリカニューメキシコ州アルバカーキの…