男色の中国史その1

 お題のとおり。その1とつけたが、たぶん続きは書かない。

 弥子瑕という人物が衛の霊公の寵愛を受け、桃を分けて一緒に食べたりしていたが、寵愛が衰えると余り物の桃を食わせたとされて罰せられたという「余桃の罪」の故事が『韓非子』説難篇に見える。

 『史記』佞幸伝によると、「高祖至暴抗也,然籍孺以佞幸。孝惠時有閎孺。此兩人非有材能,徒以婉佞貴幸,與上臥起,公卿皆因關說」といい、漢の高祖劉邦は籍孺、恵帝は閎孺という少年を寵愛していた。また同伝によると、韓嫣や李延年が漢の武帝と寝所をともにしていたという。

 董賢は漢の哀帝の寵臣であり、「断袖」の故事で知られ、「常與上臥起。嘗晝寢,偏藉上褏,上欲起,賢未覺,不欲動賢,乃斷褏而起。其恩愛至此」(『漢書』佞幸伝)という寵愛ぶりで、大司馬にまで上ったが、哀帝が死去すると自殺に追いこまれた。

 北魏の汝南王元悦は丘念という人物を近づけており、「司州牧汝南王悅嬖近左右丘念,常與臥起」(『魏書』酈道元伝)といった。丘念は酈道元に獄中に叩きこまれるのだが、元悦が霊太后に訴えて救われることとなる。

 蕭韶は字を徳茂といい、蕭淵猷の子で、後に長沙王の封を嗣ぐ南朝梁の皇族であった。「韶昔為幼童,庾信愛之,有斷袖之歡,衣食所資,皆信所給」(『南史』梁宗室伝上)といい、かの文学者の庾信が蕭韶を稚児にしていたとされる。