道武帝のサーティーン・パーティ

北魏国初の13人の「迭典庶事」だが、『魏書』で確実なのは安同・和跋・叔孫建・王建の4人のみ。ほぼ間違いないと思われるが、庾岳(庾業延)もこれに加わる。「外朝大人」の官にあって、北魏の軍事・国政の事務を統轄した人々である。残りの8人もおそらく史書に名の残る人々であろうが、記録に欠けている。
『魏書』巻29列伝第17叔孫建伝
「登國初,以建為外朝大人,與安同等十三人迭典庶事」
『魏書』巻30列伝第18王建伝
「登國初,為外朝大人,與和跋等十三人迭典庶事,參與計謀」
『魏書』巻30列伝第18安同伝
「以為外朝大人,與和跋等出入禁中,迭典庶事」
『魏書』巻28列伝第16庾業延伝
「與王建等俱為外朝大人,參預軍國」
『魏書』巻113志第19官氏志9
「太祖登國元年,因而不改,南北猶置大人,對治二部。是年置都統長,又置幢將及外朝大人官。其都統長,領殿內之兵,直王宮;幢將員六人,主三郎衞士直宿禁中者。自侍中已下,中散已上,皆統之外朝大人,無常員。主受詔命,外使,出入禁中,國有大喪大禮皆與參知,隨所典焉」
「〜大人」という部族制の色濃く残る官名は、北魏の漢化と貴族制への再編過程で初期に消え去っていった。北魏初期について調べると、史料の少なさの壁を感じる。墓誌の急増する太和年間(孝文帝期)以降と違って、新たな史料が供給されることも期待薄だろう。