益陽秦簡

秦二世皇帝胡亥の初年の簡牘が湖南省益陽市で出ているというニュース
http://news.xinhuanet.com/shuhua/2013-11/25/c_125754857.htm
http://jp.xinhuanet.com/2013-11/30/c_132930742.htm
益陽の兔子山遺跡の古井戸から今年6月に出たもの。
湖南省文物考古研究所の張春龍の紹介する簡牘の文面には、
「天下失始皇帝,皆遽恐悲哀甚,朕奉遺詔,今宗廟吏及箸以明至治大功德者具矣,律令當除定者畢矣。元年與黔首更始,儘為解除流罪,今皆已下矣,朕將自撫天下。吏、黔首,其具行事已,分縣賦援黔首,毋以細物苛劾縣吏,亟布」とあり、
裏面には「以元年十月甲午下,十一月戊午到守府」と記されていたのこと。
紀元前210年*1の胡亥の布告とみられているようです。

*1:秦二世元年は前209年と書かれることが多いが、秦暦は十月歳首で、この簡牘の元年十月は西暦の前210年11月に相当。始皇三十七年八月=前210年9月の胡亥即位から2カ月後に出された布告ということになる。