八達と八愷

『晋書』宗室伝の「(司馬)孚の長兄の朗は字を伯達といい、宣帝は字を仲達といい、孚の弟の馗は字を季達といい、恂は字を顕達といい、進は字を恵達といい、通は字を雅達といい、敏は字を幼達といい、ともに名を知られた。故に時に号して八達とするのはこれである」で知られる「司馬八達」。

『春秋左氏伝』文公十八年の「むかし高陽氏に才子八人があった。蒼舒、隤敳、檮戭、大臨、尨降、庭堅、仲容、叔達」のいわゆる「八愷」が元ネタと思われる。叔達だけ「達」がついているのがご愛敬。