『蘭陵王』―田中芳樹の描く斉周陳三国志

いやようやく出ましたね、田中芳樹蘭陵王』(文藝春秋)。手ぐすね引いて待ってました(笑)。鬼面をつけて戦場に立った優男・蘭陵王高長恭の物語です。最近の田中芳樹の中国ものは失敗作が多かったので、いちファンとして心配していたのですが、一読して予想以上に出来が良かったので、素直に喜んでいます。歴史小説としても、エンターテインメントとしても、田中芳樹らしい仕上がりになっていました。
さて、中国の南北朝末期というのは、一般の認知度が低い時代なので、作中のどこらへんが歴史的事実で、どこらへんが小説的フィクションか分かりにくいと思います。以下はそのあたりを中心に書きます。作品のイメージを壊されたくないかたは、退出をお願いします。
蘭陵王』作中の三大虚構をまとめると、1に徐月琴、2に蘭陵王、3に『三国志演義』を意識した演出があります。
1.徐月琴
作中の狂言回し、徐月琴こと徐仙姑ですが、彼女を蘭陵王とからめたのは田中芳樹の創案になるものです。
彼女の記録は『太平廣記』巻第70女仙15などに出てきます。
http://www.oklink.net/99/1208/t1/073.htm
唐代に出現したと記録される女仙人です。
「徐仙姑は北斉の僕射徐之才の女なり。その師を知らず。已に数百歳、状貌は常に二十四五歳のごときのみ。」
仙人なので、正史中の人物である蘭陵王とは全く記録上の接点がありません。北斉の徐之才の娘だと自称しているので、本当に数百年生きていたのなら、出会っていたかもしれませんが。
2.蘭陵王
正史や蘭陵王碑などの歴史資料をどう足し合わせても、蘭陵王高長恭について長編実録小説は書けないので、作中の蘭陵王自身についてはハッタリが多いと思ってください。作者も『北史演義』とか使っていることを告白してますしね。
邙山の戦いや河東の役あたりはまだしも史実に近いですが、対突厥戦(白狼城)や対陳戦(江淮之役)などはデタラメもいいところです。実際の蘭陵王の対突厥戦は邙山の戦い以前におこなわれていて、場所も東北のほうではなく并州(現在の山西省太原市)でおこなったものです。対陳戦にいたっては、蘭陵王参加してないと思われます。
主人公の蘭陵王よりも細かい脇役たちのほうが、『北斉書』などの記録に比較的忠実に描かれていて、けっこう丹念に正史を読みこんでいるなと感心します。
3.『三国志演義』を意識した演出
田中芳樹が『三国志』の話をすると、過剰に作者の顔が出るのですが、この作品でも多分に漏れません。「三国の魏や蜀漢が滅びてからほぼ三百年後」(P15)といい、「南北朝時代末期は、まさに第二次三国時代と称すべき状況」(P45)と語られるほか、銅雀台やら、顔之推が顔良の子孫やら、やたらと『三国志』とからめた記述が眼につきます。時代からし三国志的ですし、意図的に演義を下敷きにした演出を多用しているのは間違いありません。
作中にやたら一騎打ちシーンが目立ち、蘭陵王と尉遅迥(P34)、斛律光と王雄(P36)、蘭陵王と薛敬礼(P219)、蘭陵王と史雄(P223)、蘭陵王と宇文憲(P224-226)、秦彝と裴子烈(P292)などが直接刃を合わせています。しかし当時の戦いで、軍を率いる大将が直接に白兵戦に参加するような事態が起こったら、それはまず敗戦というものです。ましてや大将同士の一騎打ちなんてありえません。
三対一のシーンもあって、蘭陵王と史祥・史雲・史威の三兄弟(P224)の戦いとか、蕭摩訶と蘭芙蓉・綦連延長・秦彝(P294)の戦いとかが出てきます。鉦が鳴ると軍勢が退却していくシーンもいくつか出ましたが、これも演義的ですね。演義的なお約束を意図的に作中に入れることで、ファンサービスしてるということです。
作品全体の構成をみたときに、物語の悲劇性や勧善懲悪性すら演義的であることに気づかされます。斛律光や蘭陵王は非業の死をとげるわけですし、彼らが一命を賭して支えようとした北斉朝は崩壊します。そして歴史物語のさだめ主人公の死後も語はつづくわけです。
いっぽう和士開・穆提婆・高阿那肱・韓鳳といった奸臣たちは、韓鳳を除いて悪行の報いを受けることになります。不気味な殺人者として登場した劉桃枝も最後に斃れました。劉桃枝の人物造形が登場当初の期待にそむいて最終的に小者に終わってしまったのはやや失敗かと思われますが、その代わり盲眼老公こと祖珽が善悪二元論では割り切ることのできない複雑怪奇な顔を見せることとなります。
このように作中から『三国志演義』との相似はいくつも見つけることができ、作者のその意図は基本的に成功していると思われます。それは古典小説的なリズムがマンネリズムに陥らないうちに物語をしめることができたということです。いやあ良かったですね。

本題ここまで。以下は重箱の隅つつき。
1.尉遅迥(作中では「迥」の字の「冂」の中は「儿」と「口」)に「うつちかい」とルビが振られていますが、「迥」の字は「かい」とは読みません。この人は「うつちけい」あるいは「うっちけい」です。
2.天保元年(西暦550年)の北斉建国時に高歓に「神武帝」の諡を贈ったように書かれています(P72)が、北斉建国時の高歓の諡は「獻武帝」です。後主の天統元年(西暦565年)にはじめて「神武皇帝」の諡を贈られています。(『北斉書』巻2帝紀第2神武下)
3.「慕蓉紹宗」(P69、P81)は誤字。「慕容紹宗」です。
4.「楊惜」(P90)は誤字。ほかのところは合ってますが、「楊愔」ですね。

蘭陵王

蘭陵王


参考:
蘭陵王』を待ちきれなくて亭主が以前書いた記事。
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20090228/p1
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20090503/p1

「転倒坂うぇぶ学問所」さんの蘭陵王記事。
http://tenweb.at.infoseek.co.jp/ranryo/chokyo01.htm
http://tenweb.at.infoseek.co.jp/ranryo/chokyo02.htm
http://tenweb.at.infoseek.co.jp/ranryo/chokyo03.htm
http://tenweb.at.infoseek.co.jp/ranryo/chokyo04.htm
http://tenweb.at.infoseek.co.jp/ranryo/chokyo05.htm

Wikipediaはこのへんからたどると、いいかも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%89%E6%9B%B8#.E5.88.97.E4.BC.9D

追記:
うちの記事のツッコミ部分が楽しめたかたは、このへんを読むとさらに楽しめますよ。
http://b3.spline.tv/tenweb/?thread=82
http://ashera.blog105.fc2.com/blog-entry-301.html
http://sengna.com/2009/10/04/ranryouou/