趙王陵で馬車模型発見の話

邯鄲市の趙王陵で馬車の模型の冥器が発見されたというニュース。
趙王陵から「馬車の模型」の副葬品、定説を100年早める新発見―河北省邯鄲市(レコードチャイナ)
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=63165

2012年7月22日、中国河北省邯鄲市にある戦国時代・趙国(紀元前403年〜紀元前228年)の王の墓「趙王陵」で、木製馬車の模型の副葬品が複数発見されていたことが分かった。中国新聞社が伝えた。

発見されたのは木製馬車の3分の1模型。馬車の模型を副葬品にする習慣はこれまで、秦代(紀元前221年〜紀元前206年)より始まったというのが定説だったが、今回の発見はこれより約100年前から始まっていたことを示すもの。同市文物局の王興(ワン・シン)局長によると、1号墓で見つかった5つの副葬坑のうち、1号坑から13台、5号坑から4台と馬14匹の骨、2号坑、3号坑、4号坑からもわずかなかけらが発見された。

馬車の模型の副葬品は、秦の始皇帝陵で数多く発見されており、これを副葬品とする習慣が秦代から始まった重要な証拠とみなされてきた。王局長は、「今回の発見はこれを覆す重要な証拠になる」と話している。

中国での報道は、レコチャイよりわずかに詳しい程度です。
河北赵王陵现“偶车”陪葬 将偶车历史提早百年(中国新聞網)
http://www.chinanews.com/cul/2012/07-22/4050039.shtml
趙王陵の2号王陵の発掘により、墓の東側墓道の両側に5基の陪葬坑が発見されたという情報がつけ加えられます。1号陪葬坑の坑底で13両の小型木製馬車模型を発見、5号陪葬坑内から4両の馬車模型と馬14匹の骨を発見、そのほかの3つの陪葬坑でも若干の馬車模型の痕跡を発見したというのは、レコチャイでの報道のとおりです。

そもそも馬車を副葬する習慣というのは、安陽殷墟の「車馬坑」を嚆矢とします。
http://www.china-news.co.jp/node/597
以降にも河南省三門峡市の西周虢国墓や、山東省淄博市臨淄区の春秋斉国墓、河南省淅川県の下寺春秋楚墓、河南省淮陽県の楚王墓、湖北省棗陽市九連墩の戦国楚墓、湖北省荊門市の厳倉古墓群などで車馬坑が出土しています。これらは当時の君主や貴族たちが実用していた馬車を副葬したものです。
実用のものでない馬車の模型の副葬については、秦の始皇帝陵の「銅車馬」が最古とされていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85%E8%BB%8A%E9%A6%AC
今回そのあいだをつなぐ時期に、馬車の模型の副葬品がみつかったわけです。馬の殉葬については車馬坑の伝統を引き継ぎつつも、車については実用のものでないミニチュアレプリカなわけで、車馬坑から銅車馬へのミッシングリンクを埋める発見といえるでしょう。そして始皇帝兵馬俑に最も大規模に発現する形代としての冥器の先触れとも位置づけられるでありましょう。