曹休の墓が見つかったとか

去年末には曹操の墓が見つかったという話で世を騒がせましたが、こんどは曹操の族子(甥じゃないよ)の曹休の墓が見つかったというニュースです。
曹操一族「曹休」の墓発見 中国河南省(共同)
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010051801000483.html
曹操の一族、曹休の墓を発見、副葬品で断定―中国・河南省サーチナ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0517&f=national_0517_039.shtml
洛陽邙山陵墓群考古工作獲重要新発現(河南文物網)
http://www.haww.gov.cn/html/20100517/596427.html
曹休墓七問(河南文物網)
http://www.haww.gov.cn/html/20100518/825959.html

洛陽の北郊に邙山とよばれるところがありまして、中国史的にいうと後漢北魏の皇帝陵が集中していたり、北魏墓誌がやたら出たり、高歓と宇文泰が一戦やらかした古戦場だったりと、それなりに知られてるところなんですが。
河南省文物局の発表によると、連霍高速道路の拡張工事にともなって、邙山陵墓群の後漢陵墓区の発掘がおこなわれたんだそうです。後漢帝陵陵園遺跡、2カ所の大型墓園遺跡、3基の大型墓の新発見があり、その中でもとりわけ1基の三国魏の墓が重要発見だったということで。それがくだんの曹休の墓なわけです。
曹休墓の具体的な場所は、河南省洛陽市孟津県送荘郷三十里鋪村というところです。

墓は東西向きで、墓道が斜めに下った坂に掘られ、地下にいくつかの墓室が築かれてレンガで固められているというつくりです。東西50.6メートル、南北21.1メートル、深さは10.5メートル。


レンガには「左」、「右」、「第一」、「第二」、「第三」、「第四」などの文字が朱書きされているものがあり、あるいは印が捺されているものもあるってことです。


墓室の前室と側室内には人骨が散乱しており、鑑定により1男1女の2体と判明。男性は50歳前後、女性は40歳前後。

で、なんで曹休の墓と分かったかというと、判子が見つかったんですね。ごていねいに篆書で「曹休」という姓諱を刻んだ銅印が。これは珍しい事例です。伝世文献で誰々の墓と分かっている場合を除くと、考古発掘によって墓主が判明するのは同時に発掘された墓誌によることが多いのです。おなじ三国時代でも朱然の墓などは発掘品の名刺によって判明しましたが、これもこれで珍しいケースでしたね。

今回の発見で社会史あるいは政治史的に新たに分かったことというのは少ないと思うのですが、あのへんを掘ると曹魏の人物の墓がまだ出るかもよという目星がついたのは非常によかったですね。