疑似歴史物語は停滞論を超えられるか

まとめ「『ナウシカ』や『銀英伝』のその先の物語とは。(Togetter)
http://togetter.com/li/20232
ナウシカ』や『ガンダム』の「その先の物語」とは何か。(Something Orange)
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100512/p1
さて、海燕(id:kaien)さんの慧眼にうなづきながら、『銀英伝』本編終結直後の田中芳樹梶尾真治の対談を引いておく。

田中 高校生の頃を思い返してみても、人間って、変わらないな、と思いますね。
梶尾 人間は変わらない、というテーマは『銀河英雄伝説』にも流れていますよね。はるか未来になったとしても、しょせん人間がやることは変わらない。動きも、考えることも。そういうことでしょう。
田中 変わらないだろうし、変わってほしくない、という気持ちですね。それは僕の作品の大前提としてあります。変わると思う人が読めば、怒るのではないかと思いますが、それはもう、しょうがありません(笑)。
梶尾 まぁ、本当に人間なんて、大昔から変わっていないし。
田中 酒を飲んで、クダまいて、上役の悪口をいう。
梶尾 まったく(笑)。
田中 人間っていうのは、実際の歴史を考えてみても、すごく愚かしいことを繰り返してやっているんですよね。本当に、どうしようもない。それでいて、中には、そういう愚行に対してプロテストする人なんかもいたりして、まぁ、それによってストーリーも作れるわけなんですが(笑)。
梶尾 人間の愚行の歴史が『銀河英雄伝説』の発端になるわけですか、すると?
田中 いやぁ、醒めてつきつめられても……結局は、まあ、そうなんですが。いいたいのは、過去の歴史がそうである以上、実際として、これから先の歴史も、人間がいる以上、そう変わらないだろう、と。変わるわけがない、と、ほぼ確信に近くそう思うんですよ。
梶尾 進歩するのは、テクノロジーだけである、と。
田中 そうですね。それにも限界があると思いますけど。

「語りあかそう銀河の杯を!」『SFアドベンチャー増刊銀河英雄伝説特集号』(徳間書店、1988)

歴史的にはこういうのを「停滞論」というのだが、田中芳樹は歴史作家としても物語作家としても「停滞論者」なんだよね。これは悪しきラベリングだけど、言い換えてもしょうがないので、もう一度言うよ。田中芳樹は「停滞論者」!
さて、それはエンターテインメント作家として必ずしも悪いことじゃなくて、過去の歴史から人間の変わらない本質部分みたいなものを抽出して、類型化して、疑似歴史物語を編み上げるのがうまいってことだから。逆にいうと、田中芳樹は意識やイデオロギー面での時代の特殊性みたいなものをうまく描けない。人の意識を通時代的に普遍化してしまうわけで、どの時代の人を書いても、同じような判子型になってしまう。帝国がドイツ帝国で、同盟がアメリカで、なんちゃって三国志な未来物語が書かれたのは、科学技術の進歩に対する疑念や、ソ連社会主義の挫折や、スターウォーズ/初代ガンダム以後、携帯/インターネット以前、…の1980年代の特殊歴史的状況が生んだものには違いないわけなのだが、それは多分に意識されない。
新しい物語が古い物語を乗り越えていくことは、せつに期待したいことなので、その意味で古い田中作品はぜひ踏み台にしてほしい。でもいまリアルに感ぜられる未来もの疑似歴史を描くと、グレッグ・イーガンチャールズ・ストロスの進化系になるような気がするし、『幼年期の終り』の延長線で脱・人間ものになりそうだよねえ。
あるいは歴史をエンターテインメントにすると、平和を描くより戦争の激動を描くほうが面白いわけで、そこから「人間は変わらない」が要請されてしまう。はたして僕らの予測を超える新しいファウンデーションは生まれるだろうか。