厳倉古墓群から車馬坑とか竹簡とか

ゼロ年代よサヨウナラな2010年は1月ですが、いまどこかの世界では厳倉古墓群がアツイのです。

湖北省荊門市沙洋県后港鎮の厳倉古墓群は、戦国時代中後期の楚国の貴族墓群と考えられています。13基の墓があるそうです。ここの緊急発掘がおこなわれました。
まず厳倉古墓群から車馬坑のニュース。
http://www.china-news.co.jp/culture/2010/01/cul10011703.htm
http://www.chinanews.com.cn/cul/news/2010/01-17/2076228.shtml
http://www.scol.com.cn/focus/shwx/20100117/201011793434.htm
http://news.cnhubei.com/ctjb/ctjbsgk/ctjb09/201001/t927300.shtml
車馬坑は1号坑と2号坑があって、1号坑からは5車に12匹の馬が出土しました。
2号坑からは1車2匹の馬が出土したが、銅鉦や旗杆・銅戈・銅戟・銅鐃などがみられることからこれは指揮戦車とみられています。

銅戈に「二十六年晉国上庫工師虎」という十二字の銘文があり、これは魏の恵王二十六年(紀元前344年)の魏で製造されたものとみられています。




墓の中からも銅矛、銅鏃、削刀、竹簡、漆器、竹器、蟻鼻銭に頭蓋骨といろいろ出ています。盗掘を受けていたようなのですが、それでもざくざく出てきてます。
http://www.china-news.co.jp/culture/2010/01/cul10012104.htm
http://news.sina.com.cn/o/2010-01-20/060316960721s.shtml
http://www.huaxia.com/zhwh/kgfx/2010/01/1728472.html
http://news.sina.com.cn/o/2010-01-22/014416971616s.shtml



春申君黄歇の墓ではないかという説もあったようですが、これは否定された模様。
http://news.ifeng.com/history/3/kaogu/201001/0122_2668_1521528.shtml

墓主の棺に奇妙な赤い足跡がという話もあり。26センチだそうで。
http://www.wccdaily.com.cn/epaper/hxdsb/html/2010-01/24/content_148644.htm