馮氏編鐘銘

隹廿又再祀馮羌乍
戎厥辟韓宗鬲率征
秦遐齊入長城先會
于平陰武侄寺力宣
剋楚京賞于韓宗令
于晋公邵于天子用
明則之于銘武文口
剌永枼毋忘

周の威烈王二十二年(紀元前404年)、韓の馮羌(馮は正しくは厂に馬3つの字)が自身の戦功を自賛して作った14個の編鐘の銘文。8行61字。1928年に洛陽城東35里の金村太倉古墓で出土。上に挙げた銘文テキストは代用字を使いまくっているので、信用しないように。

『泉屋博古−中国古銅器編』P166
馮羌は、この銘文で秦や斉を攻め、長城に入り、平陰で会合し、楚の都を落としたと自慢している。