鬼畜を調教すべきか

前エントリでは「脊髄反射で過激なこと言って」ごめんね。確信犯なので許してほしい。
さんざん「ヌルい」ことがいけないことのように言っておいて悪いが、俺は「表現の自由を守れ」とか「多様な価値観の共生を」とか、ヌルい綺麗事が大好きである。少なくとも理念的には尊重している。ただ俺の理念と俺の感情はこの問題では完全に乖離し分裂していて、感情のほうを優先して書いてみたのが前エントリなのである。
俺の理念的にいえば、本当はこういうのを書くべきなのかもしれない。
しかし俺には書くことができなかった。俺はどうにも主義者に徹することができないし、理屈倒れのシュターデンになることができない。
そもそも鬼畜ゲー擁護論者には都合良く忘れられているのかもしれないが、「監禁王子」と呼ばれた人物が調教系エロゲーのまねをして女性を自宅に監禁した事件があったことを思い出してほしい。
http://www.yukan-fuji.com/archives/2005/06/post_2489.html
鬼畜ゲーはフィクションだから「具体的被害者」がいないという議論の立て方は、たった1例の反例で崩壊してしまうのである。それは危ういとは思わないか。

この問題についてまじめに考えている人ほど、歯切れの悪い議論をしているとは思う。(俺の前エントリは歯切れの良さを優先した不まじめなエントリだと思う。)
あるいは法規制ではない着地点を模索すべきかもしれない
つきつめればこの問題に万人の受け入れられる結論はないし、こういう方向になるのかもしれないが、鬼畜ゲー擁護論者あるいは規制反対論者こそ思考停止はしないでほしい。

社会が鬼畜ゲーとどうつき合っていくのか、社会が鬼畜をどう調教するのかを考えてほしい。
今のままでいいなどと考えていたなら、おそらく法規制はすぐそこだ。