煬帝墓誌について考えながら、反故を増やすこと

隋の煬帝の墓が出土
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20130416/p1
の続きのエントリですが、続報らしい続報はありません。揚州市考古研究所が出してくる情報もさして増えておりませんで。いやま各地で交わされてる議論の紹介ならいくらでもできるのですが、不完全な情報に基づく推測交じりの議論なので、後から出る情報で否定されると訂正が面倒ですので。しかし、どこの国でもネット上では懐疑論のほうが目立つ…くらいは言ってもいいかと思います。
http://togetter.com/li/491459
今回の発掘の指揮をとったのは揚州市考古研究所ですが、マスコミに露出してるのはそこの所長の束家平という人です。束家平氏は隋の煬帝の墓に間違いないとトーンが高いのですが、国家文物局のほうが慎重な態度という面白いことも起きています。
http://collection.sina.com.cn/yjjj/20130419/1551111180.shtml
http://www.shaoyangnews.net/news/shengnei/2013/04/59825.shtml

やはり今回の核心は煬帝墓誌です。皇帝の墓誌が発見されたというのが前代未聞なら、悪諡を刻んだ墓誌というのも珍しいでしょう。

墓誌の実物ですが、傷みが激しくて、釈読は難しいようですね。刻石の材質は石灰岩質で、南朝斉の王宝玉墓誌に似ているそうです。内容は一部しか明らかでないのですが、煬帝死去の事情の解説から始まっていることだけは確かです。一般的な墓誌が墓主の諱や字・父祖・経歴を語ってから死去の事情を述べるのとは、スタイルがかなり異なっていますね。このようなスタイルの墓誌は前例がないわけではなく、墓誌としてはかなり簡易的なものであると思われます。あるいはもっと長い誌文の後半部分だけという可能性も皆無ではないですが(「隨故煬帝墓誌」の6字が妙に小さい後付けっぽいことも含めて)。そういうことでは墓誌実物の裏側がどうなっているのかも、多少気になります。ちなみに偽誌の可能性ですが、ゼロではないです。ただ偽誌だとすると、何者かの仕込みか、揚州市考古研究所のスキャンダルかになるわけで、よほどの根拠がないと、あとは大人の事情かなあと。

さて、報道で公開されている墓誌右上部分について、ネット有志による釈読がおこなわれましたが、苦戦していたようです。
http://www.booyee.com.cn/bbs/thread.jsp?threadid=1063057
http://ww4.sinaimg.cn/large/a8fd5ea0jw1e3rwgidamij20ca0dmmyo.jpg

隨故煬帝墓誌
惟隨大業十四年□□
日帝崩于楊州□□
於流珠堂其年□□□
西陵荊棘蕪□□□□
永□蒼梧□□□□□
□□□□□□□□□
□朔□□□□□□□
□葬楊□□□□□□
□□也□□□□□□
□□□□□□□□□

正確さは保証しませんが、ここまではほぼ確かかと。
より進んで

隨故煬帝墓誌
惟隨大業十四年□□
日帝崩于楊州□□
於流珠堂其年□□□
西陵荊棘蕪□□□□
蒼梧□□□□□
□□□貞觀□□
□朔□□□□□□□
□葬楊□□□□□
也□□□□□□
□□□□□□□□□

くらいは少し怪しいですが、認めてもいいかと。

さて、以下は信じてはいけない、墓誌を脳内補完してみる試みその一です。

隨故煬帝墓誌
惟隨大業十四年歳次戊寅三月十
日帝崩于楊州江都春秋五十殯
於流珠堂其年□月葬于吳公臺下
西陵荊棘蕪□□□□□□□□□
永畢蒼梧□□□□□□□□□□
大唐貞觀歳次丁亥
□朔□□□□□□□□□□□□
葬楊州雷塘□□□□□□□□
□禮也□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□

実は何字×何行かも情報がないんですよね(10行程度とは言われてますが)。内容的にはこんな感じ+αだと思いますけど。「歳次(干支)」「春秋(享年/数え年)」は墓誌に頻出するパターンなので、つけてみたかったのですが、なんかきつい感じです。画像からして「大業十四年」の次の字は「大」か「天」っぽいので、多分間違ってるでしょうね。ということでネットにゴミを増やしてしまいました。