張全義

趙翼『二十二史剳記』巻22に「張全義馮道」の項がある。
馮道は分かるけど、張全義って?と思っていたところ、
どうやら五代の初期に洛陽を立て直した人らしい。
後梁のときに魏王、後唐のときに斉王というから、士大夫というより藩鎮諸侯の格で馮道とは立ち位置が異なる。
黄巣の乱から唐側に寝返って全義の名を賜うというのは、朱全忠とかぶる。
朱全忠にこびへつらって自らの妻女を辱めさせたとか、
後唐荘宗や劉皇后や宦官たちに賄賂を贈ったとか、
史書にはひどい書かれようである。
しかし、戦乱にさまよった農民たちを田土に定着させ、廃墟同然の洛陽を再建した功績は、しごく評価されているようだ。
馮道と同じく再評価されたクチの政治家といえよう。