巻十
「(義熙九年)十二月高句麗倭國及西南夷銅頭太師並獻方物」、413年
巻十二
「(元嘉二十年十二月)百濟倭國使使貢獻」、443年
「(元嘉二十八年)秋七月甲辰進安東將軍倭王綏濟為安東大將軍」、453年
巻十三
「(大明四年十二月)丁未倭國遣使貢獻」、460年
巻十四
「(昇明元年)冬十一月丁酉倭國遣使朝貢」、477年
「(昇明二年)五月戊午以倭國王武為安東大將軍」、478年
「是歳(昇明二年)蠕蠕國高麗倭國並遣使朝貢」、478年
巻十六
「倭國在帶方東南大海中島上漢末以女人立為王」
巻十九
「天嘉二年正月高麗倭國及百濟並遣使貢方物」、561年
以下おまけ
『東方』461号(2019年7月号)所収の津田資久「ヘンテコリンな六朝通史『建康実録』の最古刊本」を読んでいたら、「これまで日中交渉史研究では全く注目されていないが、他の史料には見えない「倭国」の陳への遣使記事も存在する(本書巻一九・陳世祖文皇帝天嘉二年(五六一)正月条)。」p.6とか。
— NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2019年9月29日
手元の中華書局版標点本『建康実録下』p.763を見ると、「天嘉二年正月,高麗、倭國及百濟並遣使貢方物」と確かにあるのねん。
— NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2019年9月29日
同書の校勘記p.775には、「陳書世祖紀作「十一月乙卯,高驪國遣使獻方物」。疑倭國及百濟並遣使貢方物與下文「冬十月乙卯,東夷遣使朝貢」,實爲一事重書。」
— NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2019年9月29日
『東方』に戻ると、「許嵩自身による先行史書の誤読で史実を創作している記事も少なくない」「利用が容易になった現在においても、六朝史研究において積極的な評価や活用がなされないまま、悩ましい史籍として事実上敬遠されていると評しても過言ではなかろう」p.2とさんざんなのでお察し。
— NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2019年9月29日