はじめての中国史SF選集

 このところ劉慈欣『三体』がベストセラーになり、『折りたたみ北京』『月の光』のようなアンソロジーが刊行されて、中国SFが近年の日本でも紹介されはじめております。そういう時代に出ましたこれ。
『移動迷宮―中国史SF短篇集』(中央公論新社

 中国史かつSFという我々に対する挑戦?のような選集が出てしまったので、ひとつ書いてみました。重大なネタバレを複数含んでいるので、今後読むつもりがあって未読の方は引き返されるようお勧めします。あと野暮なツッコミが嫌いな方も読まないほうが良いかと思われます。

 飛氘「孔子、泰山に登る」
 邦題のとおりで、あえて喩えるならテッド・チャン「バビロンの塔」のような登っていくことで異界に連れていかれる構造の作品ですね。諸子百家の先生たちが対話したり、空を飛んだりするのが楽しいです。孔老問答という空想は『荘子』の頃からあるのですが、孔墨問答は珍しいです。墨子孔子が亡くなった直後くらいにおそらく生まれており、ふたりが対話できたはずがないわけでして。ついでに言うと、臨淄の稷下の学は孔子から1世紀以上下った田斉の威王・宣王の頃に盛行したもので、これも時代外れではあります。

馬伯庸「南方に嘉蘇あり」
 もしも中国に茶の代わりにコーヒーが伝来していたらという歴史改変ものですね。大雑把な歴史の流れと登場人物のほとんどは史実どおりなんですが、細部は嘘ばかりというのが笑えます。その嘘も人物の性格を押さえたうえでよく練られていて、かくあったかもしれないと思わせる迫真性があります。嘉蘇や崑崙果に関連する記述は完全に創作なのですが、『後漢書』馬援伝にある「脛に矢を受けてしまってな(援中矢貫脛,帝以璽書勞之)」なんかは史実です。よくできた嘘は7割の真実からできています。
 さて、コーヒーに関する部分だけが改変されていて、歴史の流れには全く改変がないのなら話は単純なのですが、そうは問屋が卸さないです。重要なところで、諸葛亮死後の三国時代の展開と台湾の扱いがあります。前者のほうは日本にも数多い三国志ファンならすぐ気づかれると思います。これは真に受けられないために作者のお戯けで変えられているのかとも思います。
 後者のほうは夷州や流求国として登場する台湾島を中華王朝が領土化してコーヒー農園化してしまっているという改変です。史実では孫呉の夷州征討は成功していませんし、隋による流求国征討はいちおう成功しているものの、領土化しているとはいえないからです。ここが現在の大陸中国人読者の願望に沿ったエンタメ改変なのかとみると、少し苦い話かもしれません。

程婧波「陥落の前に」
 隋末唐初の洛陽を舞台にした幻想的な短編で、作者自身が明かしているとおり、『隋書』南陽公主伝を下敷きにした「すこしふしぎ」(SF)というより、かなりふしぎな話になっています。
 作中に長秋寺や永寧寺といった仏寺の名がいくつか登場しますが、これは『洛陽伽藍記』を引いたものです。ただこれは歴史小説としてみた場合は失敗であるかもしれません。『洛陽伽藍記』の仏寺の記事は北魏末の洛陽のものであり、これをそのまま隋末に当てはめるのは不適当です。歴史的には、漢魏洛陽城と隋唐洛陽城は地理的位置からして異なる別物です。どうやら作者は意図的に無視しているようです。
 なお史実では煬帝は大業十四年三月に江都で殺されているのですが、作品世界ではどうも違うようですね。あと作中に登場しない王世充はこの幻の洛陽で何をしているのかとかいった問いは無益なので、問わないほうがいいでしょう。

飛氘「移動迷宮 The Maze Runner」
 貿易交渉のための全権大使として渡清したイギリスの外交官ジョージ・マカートニー乾隆帝と面会するために円明園の迷宮「万花陣」に挑戦する話。短編としても短いショートショートです。なお「万花陣」(=黄花陣)は本当にあったみたいです。

梁清散「広寒生のあるいは短き一生」
 清末に書かれた新聞小説の科学知識に衝撃を受けた現代の主人公がその作家の行方を探求するメタSF。作中小説が最も古典SF的であり、現代パートにそうしたセンス・オブ・ワンダーはないのですが、主人公が自分を語りたがらないことも含めて、謎を残し共鳴の余韻を残しています。中島敦山月記」に似た知識人のペーソスを感じさせます。

宝樹「時の祝福」
 魯迅の作中人物がウェルズのタイム・マシンを盗んで救国救民に挑むという中国史SFというよりは近代文学パロディな話。いわゆる時空の復元力に翻弄される展開を経て、カタルシスにいたっております。

韓松「一九三八年上海の記憶」
 日中戦争期、日本軍占領下の上海の一角のレコード店での物語。そこで主人公の青年が出会った不思議なレコードが奇妙な事態を引き起こします。件のレコード以外にもありえないアーティファクトが散りばめられていて、近年流行した荒唐無稽な抗日ドラマの文脈にも乗っかっているのかもしれませんが、作中のトーンは痛快なところがなく、あくまで陰鬱なままです。中国史的観点でいうなら、有名な文学者や青幇のボスとかが名前だけ登場して消えているのも注目点かもしれません。

夏笳「永夏の夢」
 中国史SFというより中国神話SFといったほうが適切なスケールの短編ですね。ところで話は関係ないのですが、『後漢書』祭祀志下によると、烈山氏の子を柱といって、もろもろの穀物や野菜を植えた農業神だったようで、社稷の稷として后稷が祀られる以前にはこの柱が祀られていたようです。烈山、息子がいるやんけ……。それだけです。

「編者解説 中国史SF迷宮案内」
 中国史SFの位置づけを含めてその歴史と現状が総まくられ、本編の作品群への考証もまた濃厚です。これも一編の作品といっていい出色なので、読み飛ばさないほうがいいと思われます。

 本書のアウトラインは以上のようなものでして、各篇末尾の脚注や最後の編者解説に自分のツッコミたかったところは大体網羅されており、趣味の重箱つつきの捗らない良選集でした。くやしい……。ちがった、こういうのもっと出せ。とにかく某『月の光』の某「晋陽の雪」の某和訳のような悲劇がなくて良かった(涙)です。