独孤皇后の西暦553年生まれ説は本当はありえない
隋の文献独孤皇后(独孤伽羅)の生年には西暦544年説と西暦553年説がある。
独孤皇后は隋の仁寿2年(602年)8月甲子に亡くなったことが分かっている。これは『隋書』と『北史』共通の記述なのでほぼ間違いない。
問題は享年で、『隋書』后妃伝には「時年五十」とあり、『北史』后妃伝下には「時年五十九」とあること。前近代の歴史書の享年は数え年で書かれるのが原則なので、『隋書』の享年50を採ると西暦553年生まれになり、『北史』の享年59を採ると西暦544年生まれになる。
どちらが正しいのか。
独孤皇后の長女に楊麗華という人がいるのだが、この人は隋の大業5年(609年)に享年49で亡くなっている(『周書』后妃伝)ので、西暦561年生まれ。もし独孤皇后が西暦553年生まれだったら、数え9歳で長女を産んだことになってしまう。独孤皇后が隋の文帝楊堅と結婚したのは14歳のとき(『隋書』と『北史』共通)なのでこれはありえない。『北史』の享年59(西暦544年生まれ)が正しく、『隋書』の記述は「時年五十九」の「九」がどこかの時点で脱落したのだろうと思われる。