「曹操の墓」に陪葬されたふたりの女性について

河南省安陽の西高穴村2号墓(今回の曹操の墓)では、3人の遺骨が発見されてまして、60歳前後の男性と40数歳の女性と20数歳の女性が発見されています。60歳前後の男性が曹操に擬されている人物。40数歳の女性と20数歳の女性についてもいろいろ話題をかもしています。
彼女らの年齢については、報道によって微妙な差異がありまして、たとえば年上の女性について40数歳と言ったり、40歳前後と言ったり、50歳前後と言ってるのもあります。一部の報道が悪いのか、それとも発掘チームや研究者がテキトーな発言をしてそのまま引いているのか、これはちょっと分かりません。

中国社会科学院学部委員で考古研究所元所長の劉慶柱氏は、年上の女性について卞皇后のはずだと言っています。
http://www.china.com.cn/culture/txt/2009-12/29/content_19147823.htm

刘庆柱认为是这位女性是卞皇后。他说,卞皇后是公元230年埋葬的,曹操是公元220年埋葬的,两个人差十年。卞皇后嫁给曹操的时候是二十岁,身份是娼妓。丁夫人被废了以后,曹操到了建安,已经到了公元210年左右了,当时才立王后,年龄两个人最少差二十岁。如果估计不错的话,曹操死的是六十六,当时她是四十多岁。她再过十年死了五十多,就和现在鉴定的结果是一致的。

三国志』魏書后妃伝裴注所引の王沈『魏書』によると、卞皇后は西暦160年生まれとされています。彼女は230年に没したので、享年は数え71歳のはずで、50数歳でも歳が合わないですね。劉慶柱氏は王沈『魏書』の記述を無視しているのだと思われます。

いっぽう次のような報道も出ています。
曹操の墓で女性の遺骨を発見…20歳・40歳前後、殉死と推定(サーチナ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1228&f=national_1228_029.shtml

新華社電によると、河南省・文物局が27日に「三国時代曹操の墓」と断定した同省安陽市郊外の「曹操高陵」で、女性の遺骨2体が見つかっていたことが分かった。それぞれ20歳・40歳前後で、殉死者とみられている。

女性の骨は、曹操のものとみられる骨があった中央の墓室の両脇にある副室から1体分ずつみつかった。骨密度が比較的高く生前は栄養状態が良好だったと考えられることから、身分が比較的高い女性が殉死したと推定されている。

ただし、曹操が死去した際には宮廷の多くの女性を殉死させたとされており、女性の骨が2体分しか見つからなかったことには疑問も感じられるという。

殉死したということであれば、卞皇后ではありえませんね。

殉死した侍妾という説で、貂蝉の話を引き合いに出しているもの。
http://news.sina.com.cn/c/2009-12-30/091619367127.shtml
また妃嬪ではなく身分の低い女性だという話が出ています。
http://news.sina.com.cn/c/2010-01-01/094019381677.shtml

さらには侍衛と侍女だという話も出ています。
http://news.iqilu.com/shehui/huahuashijie/20091231/153648.html
年長の女性の遺体の周囲には銅釘が散乱していて、鎧甲を留める釘だと考えられ、曹操の身辺を護衛する女侍衛ではないかというのです。いっぽう年少の女性のほうはふつうの侍女とみられるとのことです。これは現場の発掘チームの尚金山氏の説です。

追記:年若の女性は服毒死ではないかという話が出ていますね。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=38579
http://news.cctv.com/china/20100104/100935.shtml