劉鄩の名言が踏まえるもの

西暦915年8月、われらが後梁の名将・劉鄩、勝てるはずのない戦いに駆り出されて全くやる気がありません。そこでかの迷文句が飛び出します。
「主暗臣諛,將驕卒惰,吾未知死所矣」
「主君は暗愚で臣はへつらい、将軍は驕慢で兵は怠けているというのに、わたしはまだ死ぬところを知らないのだ」(『資治通鑑』巻269後梁紀4)
自分以外の全員が悪いのだと放言しているわけですが、前後の事情を見ると、わりと同情できるようなできないような。ちなみに正史のほうではこの文句は採録されていません。

劉鄩のこの名言は『貞観政要』と『史記』の一節をそれぞれ踏まえています。
「君暗臣諛、危亡不遠」
/「君主が暗愚で臣がへつらえば、滅亡は遠くない」(『貞観政要』求諫第4)
「宋義乃諫項梁曰,戰勝而將驕卒惰者敗」
/「宋義はそこで項梁を諫めて言った。『戦に勝って将軍が驕慢になり兵が怠けると敗北するものです…』」(『史記項羽本紀)
故事では「君暗臣諛」は滅亡に、「將驕卒惰」は敗北に結びついているのですが、劉鄩はなぜか「吾未知死所矣」と言っています。これを劉鄩の自負と取るか、あるいは反語・皮肉と取るか、どちらの解釈も可能だと思います。