成都の天府広場から後漢碑が出た件

http://sichuan.scol.com.cn/cddt/content/2010-11/19/content_1594520.htm
http://sichuan.scol.com.cn/cddt/content/2010-11/20/content_1598889.htm
http://sichuan.scol.com.cn/cddt/content/2010-12/27/content_1740527.htm
四川省成都市の天府広場の西側から2基の後漢碑が出たようです。「大碑」・「小碑」と呼ばれていますが、ふたつ合わせて10トンという巨大な石碑です。大碑には表裏両面で1400字あまり、小碑には表裏両面で800字あまりが刻まれているそうです。とにかく大きいということが分かります。

大碑のほうは「元嘉有二仲」とあって、これは元嘉二年で西暦152年のことです。小碑の両面にはふたつの年号が出ていて、「陽嘉二年十二月丁卯廿五辛卯」というのと「本初元年六月下旬」というのがあるようです。陽嘉二年だと西暦133年、本初元年だと西暦146年になります。

興味深いところは、大碑の背面に部下の官吏104人、小碑の背面に部下の官吏40数人の名が刻まれているのですが、「…守師××守師○○…」といった連名で書かれているようです。この「守師」がなんなのかですが、西南民族大学の教授さんが語ったところでは、「一種の職業人士の呼称では?」だそうです。「李位、范前、李成、趙弘、周強、趙三、鄭茂、李穆、古焉(?)、王蒞、蔣況、上官寶、脯賞、王玄、姚謙、蘇梁(?)、陳廉、尚集、殷聲、朱奇、楊坤、玄強、杜楊、公孫相、張郁……」といった個人名が出ているようです。

内容ですが、大碑は「裴君」すなわち裴岑を、小碑は「李君」すなわち李膺を顕彰したものらしいです。後漢後期の蜀郡統治の顕彰碑とみてよいと思います。