慕容紹宗、字は紹宗

東魏の慕容紹宗の字が紹宗で、名と字が同じであると、田中芳樹がどこぞで言っていて、これを最初に指摘したのは顧炎武『日知録』らしいのだが。
『北史』の列伝に見える人物は、名(諱)が漢名を、字が鮮卑名(北族名)を伝えていることがよくあるので、後世の人物にみられる名と字の関係で考えるのはちょっと感覚が異なるだろう。ということで、慕容紹宗は「紹宗」と漢語訳されるべき鮮卑名をもつ人物で、別に漢名をつけなかったので、慕容紹宗としか呼びようがなく、あたかも名が紹宗で字も紹宗であるように後世に捉えられたのではないか。
もちろん「姓名字」式に「慕容紹宗紹宗」と呼称するのがおかしいのは、言わずもがな。