王朝軍団カラー

 『史記』秦始皇本紀に「衣服旄旌節旗皆上黑」というように、秦の始皇帝の頃の秦軍のカラーは黒であった。彩色兵馬俑を見ると、実際にはもう少しカラフルな装備であったようにも思われるが、軍団装備の制式化が進んでいたことは疑いあるまい。

 『史記』高祖本紀に「旗幟皆赤」といい、『漢書韓信伝に「立漢赤幟二千」というように漢の旗幟は赤であった。

 『晋書』劉曜載記に「旗幟尚玄」とあり、石勒載記下に「旗幟尚玄」とあり、慕容儁載記に「旗幟尚黑」とあるから、前趙後趙前燕の旗幟は黒であったと思われる。

 『魏書』釈老志に「旗幟盡青,以從道家之色也。自後諸帝,每即位皆如之」というように北魏の旗幟は太武帝以降には青を用いた。

 『北斉書』綦母懐文伝に「是時官軍旗幟盡赤,西軍盡黑」というように東魏の旗幟は赤であり、西魏の旗幟は黒であった。同伝に「高祖遂改為赭黃,所謂河陽幡者」というように、東魏の高歓は綦母懐文の助言を受けて旗の色を赭黄(あかぎ)に改めている。

 『旧唐書』職官志二に「旗幟尚赤」というから、唐の旗幟は赤であった。『旧唐書』則天皇后紀の嗣聖元年の条に「九月,大赦天下,改元為光宅。旗幟改從金色」というから、武則天によって金色に改められたようである。ところが同年同月についての記事であるはずの『新唐書』則天皇后紀の光宅元年の条に「九月甲寅,大赦改元。旗幟尚白」といっているから分からない。天授二年の条には「旗幟尚赤」と戻されているようだ。