『呂氏春秋』当染の謎の人物たち

下は『呂氏春秋』仲春紀当染の一節である。君主は輔臣に感化され、弟子は師匠に感化されることを述べた部分。『墨子』所染と大部分かぶっているが、微妙に異なる。謎の人物たちが多く出てくるので、リンク貼ってみる。書き下しは町田三郎『呂氏春秋』(講談社学術文庫)による。

墨子、素糸を染むる者を見て歎じて曰わく、「蒼に染むれば則ち蒼に、黄に染むれば則ち黄なり。以て入る所のもの変ずれば、その色も亦た変ず。五たび入りて、以に五色となる」。故に染むること慎まざるべからざるなり。独り糸を染むることのみ然るに非ざるなり。国も亦た染むることあり。許由伯陽に染まり、皋陶伯益に染まり、伊尹仲虺に染まり、武王太公望周公旦に染まる。此の四王者は染まるところ当たれり。故に天下に王たり、立ちて天子と為り、功名は天地を蔽う。天下の仁義顕人を挙ぐれば、必ず此の四王者を称す。夏の干辛岐踵戎に染まり、殷の崇侯悪来に染まり、周の厲王虢公長父栄夷終に染まり、幽王虢公鼓祭公敦に染まる。此の四王者は染まるところ当たらず。故に国は残われ身は死して、天下の僇めと為る。天下の不義辱人を挙ぐれば、必ず此の四王者を称す。斉の桓公は、管仲鮑叔に染まり、晋の文公咎犯郄偃に染まり、荊の荘王孫叔敖沈尹蒸に染まり、呉王闔廬伍員文之儀に染まり、越王句践范蠡大夫種に染まる。此の五君は染まるところ当たれり。故に諸侯に覇たり、功名は後世に伝わる。范吉射張柳朔王生に染まり、中行寅黄藉秦高彊に染まり、呉王夫差王孫雄太宰嚭に染まり、智伯瑤智国張武に染まり、中山尚魏義椻長に染まり、宋の康王唐鞅田不禋に染まる。此の六君は染まるところ当たらず。故に国は皆残亡し、身或は死辱され、宗廟は血食せず、その後類を絶す。君臣は離散し、民人は流亡す。天下の貪暴にして羞ずべき人を挙ぐれば、必ず此の六君なる者を称するなり。

凡そ君と為るは、君と為って因って栄せんとするに非ざるなり。君と為って因って安んぜんとするに非ざるなり。以て行いの理まらんが為なり。行いの理まるは当染より生ず。故に古の善く君たる者は、人の論ずるに労して、官治に佚す。その経を得ればなり。君たる能わざる者は、形を傷ない神を費し、心に愁えしめ耳目を労す、国愈いよ危うく、身愈いよ辱しめらる。要を知らざる故なり。要を知らざれば則ち染まるところ当たらず。染まるところ当たらざれば、理まること奚くよりして至らん。六君なる者是れのみ。六君なる者は、その国を重んじ、その身を愛さざるに非ざるなり。染まるところ当たらざるなり。存亡故より独り是れのみならざるなり。帝王も亦た然るなり。

独り国にのみ染まること有るに非ざるなり。士にも亦た染まること有るなり。孔子老聃孟蘇夔靖叔に学ぶ。魯の恵公宰讓をして郊廟の礼を天子に請わしむ。平王史角をして往かしむ。恵公之を止め、其の後は魯に在り。墨子焉に学ぶ。此の二士は、爵位以て人に顕らかにするなく、賞禄以て人を利することなきも、天下の顕栄なる者を挙ぐれば、必ず此の二士を称するなり。皆死して久しきも、徒属弥いよ衆く、弟子弥いよ豊かに、天下に充満し、王公大人従いて之を顕し、愛子弟ある者は随いて焉に学ばしめ、時として乏絶することなし。子貢子夏曾子孔子に学び、田子方子貢に学び、段干木子夏に学び、呉起曾子に学ぶ。禽滑釐墨子に学び、許犯禽滑釐に学び、田繋許犯に学ぶ。孔墨の後学の天下に顕栄なる者衆く、数うるに勝うべからず。皆染まるところのもの当を得たればなり。

謎の人物たちはやっぱり謎のままでした。