徐国

徐国は西周から春秋時代にかけて淮北に位置していた国である。夏の禹のときに伯益の子の若木が徐国に封じられた…などというのは眉唾だが、東夷の一派の「徐戎」はおそらくその起源なのだろう。周公旦の子の魯侯伯禽は徐戎や淮夷と争闘して国都の東門を開けることができなかった(『書経』費誓)。周の穆王のとき、徐の偃王がいて最盛期を迎え、周の国都まで侵攻しているが、けっきょくは敗北してその子孫は周に臣属している。
徐国は紀元前512年に呉によって滅ぼされている(『春秋左氏伝』昭公30年)ので、秦王政の時代に隠れ里のように存続していた…なんてことは多分ありえない。

徐国が実在していた考古学上の証拠もいくつかある。1965年に山東省費県上冶鎮台子溝村で「徐子氽鼎」が出土している。1979年には江西省靖安県で「雁君之孫徐令尹」の銘文をもつ青銅器が出ている。この雁君は徐の偃王のことといわれている。1982年には浙江省紹興市で「徐王之」の銘文をもつ青銅器が出ている。

西周のころにはわりと大国であったとイメージしてかまわないだろう。

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