中国史オタによる『西遊妖猿伝』の楽しみかた(大唐篇)

諸星大二郎西遊妖猿伝』が講談社から新版で出てますね。『西遊記』を再構成した漫画ですが、隋末唐初の歴史を多少知っていると、3倍楽しめるような作品です。いやあなんと言っても唐がダークですね。以下に挙げるような不要な知識を踏まえると、諸星大二郎白土三平の正統後継者だと思えるかもしれません。

  • 斉王李元吉(李淵の四男)


この人は昔からこういうイメージなので驚くには値しませんが。


野心家な上に尊大で傲慢です。

  • 地湧夫人(尹徳妃)


地湧夫人の名は歴史に伝わっていませんが、尹徳妃は唐の高祖李淵の妃として実在の女性です。こんな色魔にしちゃっていいんでしょうか。ちなみに尹徳妃の子は李淵の八男の李元亨のはずですが、作中ではナタ太子が地湧夫人の子に。

  • 魏徴

いちばん注目すべきは魏徴であろうと思います。諫官・史官として有名なかれも、作中でのダークさはまた格別です。

良からぬことを皇太子李建成に勧めています。このときの魏徴は太子洗馬で李建成の部下ですね。

ここは驚愕。魏徴が李建成を刺しています。作中の玄武門の変のくだりは、フィクションがかなり入ってるものの、おおまかな正史の流れを押さえており、李世民が李建成を射たり、尉遅敬徳が李元吉を斬ったり、おうおう作者分かってるじゃんと中国史オタがほくそ笑むところなのですが、ここで美事にひっくり返されてしまいます。
作者は魏徴になにか恨みでもあるのかとばかりの悪っぷりですが、作中の魏徴は決して小悪党ではなく、寡黙で剛胆な怖い人物なのです。
ほかにも魏徴は宮中で暴れ回る大猿を射たり、紅孩児の顔面を斬ってみたり、悟空と一騎打ちしたり、武将のような活躍をしています。この魏徴は正史のような文官ではなく、『西遊記』で竜王を斬った魏徴により近いと言えるでしょう。

  • 尉遅敬徳


戦場で傷を負ったことがないとされる唐随一の猛将も、作中ではヤラレ役です。あまり格好良くないので、読み流してしまいそうですが、この人を軽視してはいけません。かれのことを胡敬徳と呼んでいるシーンもあり、作者も分かった上でやっているわけです。

  • 李勣


李勣(李世勣)は唐の名将とはいえ、作中の位置づけから言ってもかなり優遇されています。というか、唐の武将の中では最もイケメンに描かれています。格好いいシーンも多いです。『西遊記』とは関係が深いはずの李靖が目立たないのに、なぜ李勣がここまで描かれるのか。作者は李勣が好きなんでしょうか。この贔屓っぷりはすがすがしいです。

さて、玄奘ほか坊さんたちについても言及すべきですが、力尽きたのでこのへんで失礼します。『西遊妖猿伝』の登場人物は、原典としての『西遊記』や、漢籍の史書や仏典になんらかの典拠をもつ人物ばかりなので、重箱の隅つつきはいくらでも可能です。そんなやついたっけ史万宝とか、名前だけ出てきた執失思力とか解説するのも楽しいかもしれませんが、誰も読まないでしょうからやめときましょう。次の機会があれば、河西回廊篇…ではなくて、坊さんたちについて書きましょうかね。

西遊妖猿伝 大唐篇(1) (KCデラックス モーニング)

西遊妖猿伝 大唐篇(1) (KCデラックス モーニング)