隋末の乱から唐へ

礪波護・岸本美緒・杉山正明編『中国歴史研究入門』(名古屋大学出版会)P105

そもそも、西魏以来の八柱国・十二大将軍家によって隋も唐も形成されたとすると、隋王朝を瓦解させた隋末の乱に低い評価を与えざるを得ない。

俺もこれは気になってはいるところ。
隋末の乱で活躍して、そもそもの出自が低く、最終的に唐に組みこまれた勢力というと、王薄とか王君廓とかになってしまうのね。しかも武徳年間のうちには消えてしまってるし。しかし王薄は注目すべきやつだよなあ。楊玄感の乱より前に反隋の起兵して、武徳年間までしぶとく生きてたやつってこいつぐらいなものじゃあるまいか。
ほか隋末の乱から出て、山東系というと、李勣とか秦叔宝とか程知節とかになるのか。もともと貴族ではないにしろ、それなりの富豪の出身ぽい。でも程知節は怪しい。どっちにしろこいつらを無視してはいけないとは思う。もと李密麾下の山東系集団ってのはだいぶ唐に組み込まれたわな。
房玄齢とか高士廉とか唐倹とかも山東系で、唐では高い地位を占めたが、隋末の乱からみるとかなり脇役っぽい。

関隴集団説も見直しが必要なんだろうけど、マクロな視座で隋末の乱の核心となった河南・山東の連中は、初唐を建設する核心とはなれなかったってところは動かないような気はしてる。でも「低い評価」とかそういうつもりもないんだけど、うーんどうなんだろ。