孟昶の黄金の便器

お食事中のかたには失礼。
黄金に輝く便器?!蝶の羽が舞う?!古代皇帝の驚きトイレ事情―中国(レコードチャイナ)

五代十国時代後蜀の第2代君主・孟昶(もうちょう:919−965)の便器は黄金で、七色に輝く宝石がはめ込まれていたとか。孟昶を打ち負かした宋の太祖・趙匡胤(ちょうきょういん:927−976)は、強奪品の中にあったド派手な便器をみて、「排泄でこんなに贅沢なもの使いやがって、飯にだったら一体何を使って食べるんだ!?」と驚き呆れたらしい。

原典を調べられなかったのですが、微妙に違う話を見つけました。

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北宋初年,宋太祖赵匡胤平定四川,后蜀皇帝孟昶皇宫里的宝物自然也全部归属了宋太祖。在所有宝物中,宋太祖最喜欢一个镶满玛瑙翡翠的盆子,回到都城汴梁后,将这个盆子放在桌上供奉着。

一次,宋太祖把孟昶的宠妃花蕊夫人召来跳舞时,花蕊夫人告知宋太祖此玩意为孟昶的尿盆,气得宋太祖立马把盆子摔了,道:“使用这种尿盆,哪有不亡国的道理?”

テキトーな訳をつけると、

北宋の初年、宋の太祖・趙匡胤が四川を平定すると、後蜀の皇帝の孟昶の皇宮の中の宝物ももちろんすべて宋の太祖に帰属した。太祖は、すべての宝物の中でも瑪瑙・翡翠をいっぱいに埋め込んだひとつのたらいを最も気に入って、都の汴梁(開封)に帰った後、このたらいを卓上に飾っておいた。

いちど太祖が孟昶の妃の花蕊夫人を召し出して踊らせたとき、花蕊夫人が太祖にこのたらいが孟昶の便器であると知らせると、太祖は怒って即座にたらいをたたきつけて言った。「このような便器を使って、どこに国が滅びない道理があろうか?」

原典にあたってないので、どちらがテキストに準拠しているのかは分かりません。しかし花蕊夫人に知らせられるまで気づかずにテーブルに飾っていた趙匡胤のほうが常識人ぶりがより際だちますね。