『長歌行』その2

小ネタです。相変わらず歴史サイドからの重箱の隅エントリですが、別に真面目に糾弾コーナーとかしてるわけではないので、気楽に読み流して下さい。
夏達『長歌行』4巻P51

「隋の建成姫」とやってしまってるのですが、この人は義成公主でしょう。隋の宗室の女性で、突厥の啓民可汗にとつぎ、北方のレビレート婚の慣習にもとづき、始畢可汗・処羅可汗・頡利可汗の妻ともなっている人です。

中国語版では「义成公主」とされているのですよね。日本の漢字表記に直すなら「義成公主」で、どう引っ繰り返しても「建成」にはなりません。
「永宁公主」(永寧公主)を「永寧姫」と訳す集英社版の例(あまり感心はしませんが)でいくなら、「隋の義成姫」とすべきですね。

あと小可汗「阿史那社尔」(あしなしゃある)は、やはり「阿史那社爾」(あしなしゃじ)表記のほうが良くないですかね。「阿史那社尒」だったら、許すよ(なにが?)。

ところでわれらが主人公の永寧公主李長歌ですが、そういう人は歴史上の記録にいなかったという結論もつまらないので、ちょっと以下にこじつけてみました。
唐代の永寧公主には3人いまして、ひとりは玄宗(李隆基)の娘で、ひとりは武宗(李炎)の三女ですが、このふたりは時代が世紀単位で下ってしまいます。もうひとり謎の人物がいまして、
旧唐書』酷吏伝下に
「王旭,太原祁人也。曾祖珪,貞觀初為侍中,尚永寧公主」
(王旭は、太原郡祁県の人である。曾祖父の珪は、貞観初年に侍中となり、永寧公主をめとった)
とあるんですね。
貞観初年なので、時代も合うぞ、という話です。王珪魏徴と並んで隠太子李建成に仕えていた経歴をもつ人物でもありますね。繰り返しますが、この永寧公主の正体は確かなものではありません。それどころか銭大昕『廿二史考異』は、「案珪封永寧郡公,未嘗尚主。尚南平公主者,珪之子敬直也」(調べてみると、王珪は永寧郡公に封ぜられていたのであって、公主をめとったことはない。南平公主をめとったのが、王珪の子の王敬直である)といって、この永寧公主の実在を否定すらしています。
しかしもし作中で王珪が出てくることがあれば、要注意かも知りません。