不可知論者が「神」を語る

「あなたのご宗教は?」と問われたら、「墨家教団グノーシス派」(A member of Mohists Gnostic Sect)と答える準備をしているのだが、誰も聞いてこないので答える機会がない。
神の似姿の人間とか、人間の似姿の神とか、そんなのいるわけないだろ常考と思っているのだが、じつは「神」と呼ぶほかはない何者かの存在を想定してみたりもしている。
けっこう趣味的に量子論とか宇宙論とか好きなので、この宇宙(もしかしたらマルチバース)って、何者かの壮大なシミュレーションなんじゃね?とか考えたりもするのだ。
ただこの場合想定される「神」は超ひも理論の10次元より高次なので、地球の人間と似てるわけもない。地球人類にもさしたる興味を持っていないだろう。もちろん僕らの理解の及ばぬ情報(あえて思考とはいわない)を巡らし、宇宙のごく一部たる地球を含めて宇宙を観測してるだろうけどね。

以上、どこまでが冗談でどこまでが本気かというと、全部かなり本気なのである。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と孔子は言ったべな。
宇宙の全知識を我が物とするのははたして本望であるのか、それとも生きる価値を失うことであるのか。まあ、そんな日は当面来ないので安心してるけどもね。