豊饒の箱庭−「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」論

※以下、ネタバレがかなり入っていますので、本作を未観賞のかたには回避を推奨します。
魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」(以下、本作)は、暁美ほむら(以下、ほむら)が主人公の映画です。そもそもTV版OP主題歌の「コネクト」からしてほむら視点で読める歌詞であるとか、TV版10話以降はほむらが主人公だろうという見解もあるのですが、本作はほむらがダークヒロインの役回りだというのにほぼ異論は出ないでしょう。TV版および劇場版前後編のモチーフが循環的再帰的に用いられつつ、TV版12話の展開を踏まえたTV版10話が変奏的再演をみせることになります。本作で新しく立ち現れるモチーフとしては、「ベルリオーズの幻想交響曲」やクラシック三大バレエなどがすでに他所で指摘されていますが、ここでは触れません。

ではまず、TV版の結末から復習してみましょう。キュゥべえとの契約によってこの世に生まれた魔法少女は、魔法の奇跡の代償として呪いを生み出し、やがては絶望の果てに魔女へと変化して、世界に呪いを撒き散らすと定められた存在です。これがキュゥべえのルールです。まどかはキュゥべえのルールの隙をついて、全宇宙の全魔女を生まれる前に滅ぼす存在となることで、魔法少女の願いを守り、呪いを引き取ることとなります。まどかの巨大すぎる因果とその願いにより、キュゥべえのルールには新たなルールを書き加えられ、全宇宙は全時間的に改変され、まどか自身も人間の殻を超えて「円環の理」として概念化せざるをえませんでした。概念まどかは全ての魔法少女のそばにいる存在ですが、現実世界ではほむら以外の誰からもその存在を忘れられています。

本作において、まどかが円環の理となって忘れられたことを「犠牲」と捉えているのは、実はほむらだけです。今回訳知りのさやかはそういう表現を避けていましたし、さやかの台詞から推測される概念まどかもおそらくはそう思っていません。ほむらが犠牲犠牲と連呼してるので、つい釣りこまれてしまいそうになりますが、概念まどかが決して孤独でも不幸でもないことは、まどかの周囲を賑やかしているさやかやなぎさや使い魔たちが想像させてくれます。

「ひとりぼっちになっちゃダメだよ」「私、なんて馬鹿な間違いを」「どんな罪だって背負える」あたりのまどかとほむらのやりとりは、本作のディスコミュニケーションの白眉です。まどかはほむらが独りになってはいけないと主張しているのですが、ほむらは概念となって忘れられたまどかが独りで寂しくて耐えられないものと受け取っているのです。ほむらはそのため、概念となった不幸な(!)まどかを救うには自分が悪魔になるしかないと思い詰めたわけです。それは「愛」ゆえに。

さて、TV版12話Cパートで、ほむらが呪いに満ちた黒い翼を伸ばしつつ、魔獣に最後(?)の戦いを挑むシーンを思い出してみましょう。あるいは本作でほむらのソウルジェムを閉じ込めていたキュゥべえの結界が破壊された後、立ち現れた世界を見てみます。あの世界は、実に荒廃した世界です。時間的にはほむらが長い間魔獣と闘争して絶望魔女落ちする直前直後のはずです。キュゥべえの阻止しようとしている宇宙の熱的死とまではいかなくとも、人類は(絶望的に)衰退しました(!)くらいの遠未来だと亭主は勝手に考えていました。しかしほむらのメンタルは意想外に脆弱だったようで、どうやらあの荒廃した世界はそれほど遠い未来ではないようです。本作のホムリリィ−QB結界(仮称)には、マミ・杏子・さやか・まどか・なぎさらの魔法少女だけでなく、まどかの父母や早乙女先生や中沢君らも取り込まれていました。魔法による肉体修復が可能で、原理的には不老も可能な魔法少女とは違って、早乙女先生や中沢君の歳は誤魔化せないはずです。ということは、大した未来ではないのでしょうか。あの荒廃した世界にみえるのは、魔女結界ならぬ魔獣のしわざなのでしょうか。あるいは時を支配するほむら=ホムリリィにとっては遠い過去から結界に人を連れこむなどお手の物であるという解釈も可能です。いずれにせよTV版12話の再解釈が必要そうです。

本作のシナリオ自体、美滝原という書き割りの箱庭が不穏をはらみながらも明るく描かれ、それがほむらのソウルジェムの内宇宙であることが明かされて暗転し、悪魔ほむらの爆誕による宇宙的改変から、また新たな箱庭への転回という構造を採っています。箱庭から箱庭へのメビウスの帯めいた循環的時間が流れ、TV版10話に登場したほむらの時間遡行の魔法が再び現れることになります。時間の悪魔には、人類衰退後の未来の世界に過去の美滝原の箱庭を再構築することも容易なのかもしれません。すると、宇宙の熱的死を回避せんとするキュゥべえの求める回答は、案外ほむらの魔法の中にあるのかもしれません。

超人による永劫回帰というと、ニーチェの『ツァラトゥストラ』ですが、本作「叛逆」からは循環的時間の箱庭のみならず、ゾロアスター的な神魔対抗の図式が立ち現れていたことも示唆的です。

ポスト概念の箱庭では、魔法少女と魔女はもはや主要な対立軸ではありえないのです。意図せずにそのことに言及していたのは、本作中のさやかですが、彼女は魔法剣士と人魚の魔女スタンド能力を併せ持った強キャラに生まれ変わっていました。魔法少女が魔女をすでに取り込んでいる描写は作中のそこかしこに現れています。なぎさがベベ、つまりはお菓子の魔女シャルロッテの顔を持っていることは、クラスのみんなには内緒ですが、その代表的なものでしょう。序盤の仁美ナイトメア浄化シーンで仁美を連れて行った上条っぽい影は、TV版9話に既出で、実は人魚の魔女オクタヴィアの使い魔だったりします。やはり序盤の魔法少女たちの変身シーンのダンスにも、グリーフシードや魔女のゲシュタルトがこっそり入れられています。円環の理のもとで、魔法少女と魔女はお互いを補完し合い、さらに使い魔たちも加わって、豊かで賑やかな「概念」を構築していたのです。

本作をハッピーエンドとする、あるいはバッドエンドとする2種類の見解がネットに散見されます。亭主の解答は残念ながらバッドエンドのほうです。ほむらが悪魔堕ちしたから悪いのではなく、ますます孤独になってしまったのが問題です。ほむらは唯一の理解者のまどかを引き裂いてしまい、人間(?)の少女のほうだけを自らの箱庭に囲っておこうとしているのですが、ほむらの「過去」を忘れたまどかがほむらを理解することはないでしょう。作中エンディング直前の学校のカットでも、ほむら自身の言及によって、新たな箱庭のまどかがほむらの敵となることが示唆されています。ほむらの一方通行の愛は、神と魔の闘争の場に箱庭の絵を描き換えてしまったのです。

ここに来てもっとも気になるのは、本作の続編があるかどうかです。以前脚本の虚淵玄氏が、「劇場の続きも考えていまして、テレビものの2クールも構想としてあがってはいますけど、そのためにも新しいライターを入れたいと思います。」と言ってます。神魔対抗の書き割り世界を用意すれば、次の話は駆動しやすいとの考えでしょう。岩上Pは続編は「白紙」だといってますが、キュゥべえ並みに信用が置けません。続編は必ずあると覚悟すべきでしょう。

わずか2時間の映画でしたが、まど☆マギ世界は「叛逆」以前と比べて、なんと豊かに変わってしまったことでしょう。悪魔ほむらが構築したやや歪な新世界ですが、概念や使い魔たちも受肉化して、魔法少女や美滝原の人々と共存しています。おそらくは、そして願わくは、今後も魔法少女の豊饒な物語をこの箱庭で紡いでいくことでしょう。