蜀を取る将帥の不利

『陔餘叢考』巻四十

洪容齋のいう。「いにしえから中国で蜀を取った将帥には利益がない。漢が公孫述を討伐したとき、大将の来歙・岑彭は刺客の禍にたおれた。魏が劉禅を討伐したとき、大将の鍾会・鄧艾はともに一族処刑された。後唐の荘宗が王衍を討伐したとき、招討使の魏王李継岌と大将の郭崇韜はともにロクな死に方をしなかった。宋が孟昶を討伐したとき、大将の王全斌・崔彦進はともに賞されず、左遷の憂き目にあった。」これらは北宋以前に数えられるべきものである。元の憲宗が兵を率いて蜀に入り、重慶を攻めたとき、負傷を受けて釣魚山の下で亡くなった。明の湯和・傅友徳が蜀を取ったとき、湯和は責めを受けて賞されず、傅友徳は賞を受けたけれども、終わりはよろしくなかった。まことに蜀を取る将帥に利のないことである。

訳はかな〜り砕いてます。というか、いつも通りの超訳です。