蚩尤天皇の説

中国が反発「韓国人が蚩尤天皇の歴史を歪曲」=文匯報(朝鮮日報)

中国のネットユーザーとマスコミが、韓国の歴史小説やマンガ、各種のマスコットなどで爆発的な人気を得ている古朝鮮時代の蚩尤天皇をめぐり、韓国人が歴史的事実を歪曲(わいきょく)したと反発している。
 香港の親中国系新聞・文匯報は、『大韓民族通史』など韓国の小説やインターネット上で、「4700年余り前の倍達桓国の第14代皇帝・蚩尤天皇が、河北省タク鹿で繰り広げた“タク鹿大戦”で中国の黄帝軒轅を打ち破り、ひざまずかせた」と描写しているが、これは歴史的事実と正反対の歪曲された記述であり、専門家らの冷笑を買っている、と8日付で報じた。

香港・文匯報の元記事はこちら「韓人認祖蚩尤 杜撰征服黄帝

うーん、面白げな臭いはするものの、そもそも蚩尤黄帝涿鹿の戦いも、伝説の域を出ないですしねえ。「歴史的事実」の歪曲(顛倒史實)というには、考古的裏付けがだいぶ足りないかと。
フィクションでハッタリをかましているからといって目くじらを立てるのも大人げないですしね。でも…通史とか題打ってしまうと、フィクションだとは思えなくなってしまう人たちもやはり出るでしょうか。

僕は朝鮮史(韓国史)には知見がないので、詳しくは語れないんですが、古朝鮮と蚩尤を関連づける言説というのは、目新しいものではないようですね。
Wikipedia檀君朝鮮を引きます。

『桓檀古記』
「太白逸史」の「三韓管境本紀」:桓雄の子ではない神人王倹が国を三韓に分け辰韓を治めた。桓雄は阿斯達を国とし朝鮮と号した。神人王倹は馬韓を熊伯多、番韓を蚩尤男(蚩尤の末裔という)に治めさせた。

蚩尤男であって蚩尤そのものではないみたいです。
史学的には『桓檀古記』はどうやら偽書とされているようですけど。朝鮮史でここらへんをどう見ているのか、誰かご教示願いたいなあ。

国史的には、蚩尤は九黎=三苗と関連づけ、中国南方の民族の首領とするものが多いです。
これだって唐の張守節『史記正義』の引く「孔安国曰く、九黎の君が蚩尤を号する、これなり」あたりの拡大解釈にすぎないのではないかと僕は思いますが。

蚩尤を天皇(てんこう)と結びつける説というのも、中国史の範囲では見当たらないです。
ただ南朝宋の裴駰『史記集解』の引く「応劭曰く、蚩尤は古の天子なり」あたりを見ると、蚩尤が天子となった説もあったらしいことが分かります。蚩尤天子説は、唐の司馬貞『史記索隠』であっさり否定されてるんですけどね。

ということで、蚩尤伝説も『史記』五帝本紀の本文だけを読むのではなく、三家注あたりを丹念に読むと、いろいろな説があって面白いよという方向にこのネタを持って行きたかったのでした。
「獣身人語で、銅の頭に鉄の額をもち、沙石を食らう…」なんて蚩尤の異形描写も、三家注のひとつ『史記索隠』からですしね。ほかにも『山海経』や『逸周書』なんかにも蚩尤の記述はあるみたいです。

まあ、今ある説に「蚩尤天皇の説」が加わったところで、別に構わないなというのが僕のスタンスです。伝説や小説として扱われている限りには、面白いねで済みますから。ただ史学の中で、伝説的な挿話も何らかの歴史的事実を下敷きにしているはずだという立場を取るなら、根拠のはっきりしない怪しげな話はなるべく排除すべきですわ。

それからこの件に関して、ネット上の日本語を母語とする人たちの間で、「天皇(号)は日本起源」というツッコミを入れている人がいるけど、これはいろいろ論争の種になります。というか、天皇号は中国起源説のほうが有力です。
Wikipediaの「天皇」の項を読みましょう。

天皇」という称号の由来には、複数の説がある。

  • 古代中国で北極星を意味し道教にも取り入れられた「天皇大帝」(てんおうだいてい)あるいは「扶桑大帝東皇父」から採ったという説
  • 唐の高宗(在位649年-683年)は皇帝ではなく前述の道教由来の「天皇」と称したことがあり、これが日本に移入されたという説
  • 5世紀頃には対外的に「可畏天王」、「貴國天王」あるいは単に「天王」等と称していたものが推古朝または天武朝に「天皇」とされた等の説

はじめて採用されたのは推古朝という説(戦前の津田左右吉の説)も根強い。しかし、7世紀後半の天武天皇の時代、すなわち前述の唐の高宗皇帝の用例の直後とするのが、1998年の飛鳥池遺跡での天皇の文字を記した木簡発見以後の有力説である。

加えて三皇を「天皇地皇人皇泰皇)」としたことから来る説も指摘しておくべきでしょうね。
三皇五帝 - 天皇・地皇・人皇(幻想山狂仙洞)

あとはカーでも引いてお茶を濁しておきます。

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

E・H・カー『歴史とは何か』(清水幾太郎訳、岩波新書

歴史が現代の投射だ、現代の物語だという歴史修正主義者の好みそうな逆説は一面の事実です。しかし過去の事実と向き合い、フィードバックしないなら歴史は無意味でしょうね。
さぁて…何言ってんだか。歴史は終わらない学問だってことです。あっさりと最終的結論を出す言説こそ疑ってかかりましょうぜ。