安世高=アルサケス

漢籍史料上において「安息国」とは、古代イランのパルティア王国を指す。なぜ「安息」という字が当てられたかというと、パルティアの国祖アルサケス(Arsaces)から取ったのである。アルサケスの名は、のちにパルティアの君主号として引き継がれることとなる。
さて、後漢桓帝のころに安世高という人物がパルティアから洛陽にやってきて、訳経に従事したことが知られる。この人の称も、当て字からの推量にすぎないが、おそらくはアルサケスである。
慧皎『高僧伝』に「安清は、字を世高といい、安息国王正后の太子である」という。しかしこの人のことを史料上で「安清」と呼ぶことはほとんどなく、もっぱら「世高」あるいは「高」と呼称される。避諱する理由もとくに感じられないので、「安清」より「安世高」のほうが当時から一般的な呼称だったのだろう。王位を忌避して仏門に入った人物が、なぜパルティアの君主号を称していたのかは、多少疑問が残るが、このほうが面白いのでそういうことにしておこう。(爆)