『遼史』列女伝の烈女に対する見解

またいつものごとくテキトーな訳。
『遼史』巻107列伝37列女の冒頭

男女、室に居るは、人の大倫たり。其の烈女を得てともにするは、賢女を得るにしかず。天下に烈女の名有るは、幸に非ざるなり。詩に衛の共姜を讚え、春秋に宋の伯姫を褒むるは、蓋し已むを得ず、人倫の變を重んじる所以なり。

男女が同室するのは、人としての倫理的規範である(『孟子』万章章句上より)。烈女を妻とするのは、賢女を妻とするのに及ばない。天下に烈女の名が知られるのは、幸福なことではないのだ。『詩経』が衛の共姜をたたえ、『春秋』が宋の伯姫を褒めたのは、そもそもやむをえず、人の規範の特例として重んじるためでなのである。

「列女伝」にふさわしからざる穏当な見解。父母に逆らって再嫁しないことを誓った衛の共姜や些末な礼儀を守って焼け死んだ宋の伯姫の故事は、「人倫の変」であり『遼史』筆者から見て異常なことだったのである。
しかも『遼史』筆者は、「天下に烈女の名有るは、幸に非ざるなり」というのである。節義を守って「烈女」の名を上げた女性は、本人も不幸であったし、その時代も不幸であったことが多いのである。それを単純に讃えたくないという思いが行間ににじみ出ている。