「過ちは繰り返しませんから」

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界−BigBang
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あまりに深くて濃い問題含みなので、できうれば全文読んでくだされば
以下、抜粋。

この一連の流れを見るにつけても、これほどの犠牲者を出した大禍の後で、日本人は驚くべき率直さと従順さを持って米国の無差別大量殺人の加害の罪を許し、その一方で自らの加害の罪をも曖昧にやり過ごしてきた。

だが待って欲しい。
傍らにある米国は、中国は、韓国はどうであったか。一度たりとも共に同じ願いを共有したことがあったか。そして当の日本自身ですら本気でそれをかなえようとしたか。

私達はどこまでを過ちと規定したのか。何を捨て、何を守ろうとしたのか。それがわからない。

広島平和都市記念碑の「過ちは繰り返さない」は、実は誰の責任も問わない、何の過ちをも明確化しない、逃げたメッセージではなかったか。

私達には、加害の罪悪感はあっても、首都の上空に、あるいはナガサキヒロシマに、人類未曾有の大量殺害兵器を招き入れてしまった国であることが忘れられている。
この記憶を、美しく人類共通の平和観に昇華させるのはまだ早い。その記憶を、ゆがめて、あるいは消去して世界に対峙すれば、この災禍は必ずもう一度繰り返される。

ヒロシマは、ナガサキは、トウキョウは終わっていない。