怪しい南明皇帝

南明の定武帝(在位1646〜1664)とされる朱本鉉。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%9C%AC%E9%93%89
http://smxj.diy.myrice.com/his/tyz/015.htm
明の宗室として韓王に封ぜられ、明の滅亡後は李自成の部将の郝永忠(郝搖旗)により帝に擁立された。定武政権は農民軍の支援を受けて、湖南・湖北・広西・四川の一帯で清軍に抵抗したという。
正史に登場せず、かれもその政権自体も実在しなかった可能性が高いので、一般に無視されていることが多い。
僕も人物事典に載せるつもりがないので、ここに書く。
明朝の宗室のうちで、韓王が朱元璋に与えられた輩行字は「沖范徴偕旭、融謨朗蓂逵、亶韶愉灝慥、令緒價蕃維」で「本」の字はないので、朱本鉉は韓王家の人間ではありえない。ちなみに、魯王宗室の輩行字では「肇泰陽當健、觀頤壽以弘、振舉希兼達、康莊遇本寧」と19代目に「本」の字が現れるが、当時の魯王家は「以」字と「弘」字の世代であり、「本」字が現れることはありえないという。ただし郝永忠の保護下に韓王家の人で朱蓂溧という人物がいた可能性があり、この人が朱本鉉のことだという説があるらしい。もちろんこの人が明朝から韓王に封ぜられた事実はない。