煬帝はなぜ「ようだい」と読むのか。

隋の2代皇帝は煬帝と書いて、ようだいと読みます。なんで、「ようてい」ではなく...(Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1499229
残念ながらベストアンサーのほうが信用できない。中国では、煬帝の「帝」について取り立てて特別な読み方をしていない。煬帝(Yángdì)の帝(dì)は、文帝(Wéndì)の帝(dì)と読みは同じである。音注にうるさい胡三省ですら、何も言及していないことからして、歴史的に遡っても同様だろう。煬帝を特別に「ようだい」と読むのは、中国の事情ではなく、日本特有の理由があると解するべきだ。帝を「だい」と読むのは、呉音の「タイ」を濁らせたものである。通常なら漢音の「テイ」で読まれるはずのところだ。
呉音で読んでいるのは、煬帝を貶すためだという説も、正直信じがたい。たとえば帝釈天は「たいしゃくてん」と読まれるが、これをもって帝釈天を貶していると思う人はおるまい。「煬」が悪諡であることからの附会の説に思える。
朝鮮半島を経由してきたためという説もあり、これは否定しにくいが、なぜ煬帝だけ半島経由の読みを受容したのかという謎に答えられてはいない。
結局はっきりしたことは分からないので、日本での読み癖であって、バカボンのパパはパパだからバカなのであるという無難なトートロジー的結論に落ち着く。
「ようてい」だと要諦と区別がつきにくいだろ!という筆者の年来の主張は、決して顧みられることもないのだ。

さて、以上のことは全くどうでもいい話で、揚州の「煬帝の墓」の西北でまた墓が出ているようである。煬帝の息子の墓という説も…だと…。
http://www.yznews.com.cn/2014-10/23/content_5397473.htm