煬帝改葬が貞観九年との説

煬帝の墓、太宗が改葬 権力安定後に評価修正か(朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11181055.html

煬帝墓誌について、明治大学の氣賀澤保規先生が新説を立てられているようです。

 墓誌上の「貞観」の後に記された改葬年を示す文字について、中国側の研究者は「元年」と判読してきた。だが、気賀沢さんは、その後に続く日付を示す干支(えと)の分析から「九年」(635年)と推測。「太宗の即位から約10年たち、権力基盤が安定し、煬帝を悪者に仕立てる必要がなくなり、冷静に事績を評価した」とみる。

新聞記事は論文ではないので、肝腎なところは書いてくださらないわけですが、「貞觀□年」に続く部分に書かれている筈の「×月×日(干支)」がどうやら釈読できているらしいことが読み取れます。どう読んだものなのか、わたし気になります(CV:佐藤聡美)。

さて従来的な解釈から言うと、『隋書』煬帝紀下の「大唐平江南之後,改葬雷塘」の部分からして、雷塘への改葬が(輔公祏や闞稜らが李孝恭に敗れて)江南の平定された武徳末年からそう離れているとも思われず、「貞観元年」という釈読を自然としてきたかと思います。

氣賀澤説の詳細情報を求むであります。あともちろんその説の是非やいかにというところです。