隋の煬帝の墓が出土

ご無沙汰ぶりのブログで、わりとビッグニュースの紹介です。隋の煬帝の墓が江蘇省揚州市邗江区西湖鎮司徒村曹荘で出土したとのことです。


↑今回発見の墓
揚州市は長江下流域の北岸に位置している古くからの都市ですが、隋のころには江都と呼ばれていました。南朝の文化を愛した煬帝は、たびたびこの江都に来ておりまして、最期を迎えたのもここでのことです。煬帝は江都に宮殿を建てて趣味全開の遊興三昧。晩年に華北の情勢が怪しくなると、江都から離れようとせず、そのために部下の宇文化及に殺害されております。

さてこのたびの出土品ですが、鎏金銅鋪首や金瓖玉腰帯といった文物が出ているようですが、やはり決定的だったのは、墓誌の発見ですね。
「隨故煬帝墓誌」(隨は隋と通字)というようです。墓誌中に「隨大業十四年」とか「帝崩于揚州」とかあって、決め手になってるようです。

↑鎏金銅鋪首

↑発見された墓誌
あと今回発見の墓の東側の墓が蕭皇后の墓ではないかともいわれているようです。618年に煬帝が宇文化及に殺害された後、帝の遺体は江都宮の「呉公台の下」(墓誌では「流珠堂」とされている模様)に葬られたのですが、唐が江南を平定すると、「雷塘」に改葬されています。648年に蕭皇后が病死すると、唐の太宗は彼女の遺体を江都に送って煬帝と合葬させています。

ちなみにいままで隋煬帝陵とされていたところが今回発見の墓から6キロほど離れたところにあるのですが、今回発見のものが本物なら偽物になってしまうようですね。

↑残念ながら「偽陵」に。

とりあえずこのへんで。まだ公開されている情報が少ないので、続報を待ちたいですね。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130415/k10013939021000.html
http://news.xinhuanet.com/tech/2013-04/15/c_124580630.htm
http://news.qq.com/a/20130415/000431.htm