突騎施王子墓誌の発見

http://news.cnyes.com/Content/20111220/KE10FJUKR37XA.shtml
http://www.chinanews.com/cul/2011/12-19/3543417.shtml
西安で唐代のトルギッシュ(突騎施)の王子の墓誌が見つかったというニュース。2011年10月、西安市文物保護考古処が西安の西郊で18基の隋唐の墓の緊急発掘をおこなっていたところ、その中の6号墓でくだんの王子の墓誌がみつかったそうな。誌蓋には「唐故突騎施王子誌銘」。王子の名は光緒。唐の交河公主の孫で、トルギッシュの奉徳可汗の子。トルギッシュは西突厥の別部で、唐の玄宗の開元年間に蘇禄が自立して西域で勢威を張った。唐はトルギッシュを籠絡するために、阿史那懐道の娘を交河公主に封じて、蘇禄にとつがせた。蘇禄の晩年にトルギッシュは黄姓と黒姓に分裂して抗争し、蘇禄は殺害されてしまうのだが、蘇禄と交河公主の子が奉徳可汗、奉徳可汗の子がくだんの墓主の光緒ということらしい。墓誌によると、光緒は幼い頃に人質として長安に入り、宿衛として唐の皇帝に仕えた。光緒の死去は代宗の「永泰元年二月」ということで、西暦765年。翌「永泰二年十月十六日」に葬られたとする。

注目点は墓主の光緒自身の履歴もさりながら、父の「奉徳可汗」という可汗号が両唐書に見えないことじゃないかなあとも。蘇禄死後のトルギッシュは黄姓と黒姓がごちゃごちゃと可汗を乱立していたらしいことは分かるけど、奉徳可汗って人は知られてなかったよね。