高歓政権は爾朱氏の後継政権

1.天柱大將軍
永安2年(529年)7月に爾朱栄
普泰元年(531年)3月に爾朱兆
中興2年(532年)2月に高歓

2.大丞相
永安元年(528年)9月に爾朱栄
中興2年(532年)2月に高歓

3.太師
永安元年(528年)10月に爾朱栄
中興2年(532年)2月に高歓

北魏末にえた高歓の官位は爾朱栄とかぶっている。とくに「天柱大將軍」という官位は他に類例がなく、注目に値する。高歓は信都起義以後、爾朱氏を軍事的に打倒することで北魏の政権を奪取したが、おそらく当時の人には爾朱氏の子分が政権を取ったとしか思われていなかっただろう。高歓が爾朱栄の部下であった時代はわずか数年にすぎないが、爾朱氏の地盤だった太原(晋陽)が高歓に引き継がれ、東魏北斉においても副都的位置づけであり続けたことは興味深い。