白アリスの反乱

『魏書』巻3太宗紀

(神瑞二年三月)河西飢胡屯聚上黨,推白亞栗斯為盟主,號大將軍,反於上黨,自號單于,稱建平元年,以司馬順宰為之謀主。夏四月,詔將軍公孫表等五將討之。河南流民二千餘家內屬。眾廢栗斯而立劉虎,號率善王。

『魏書』巻105天象志一

神瑞二年三月,河西飢胡屯聚上黨,推白亞栗斯為盟主,號大單于,稱建平元年。四月,詔將軍公孫表等五將討之。

『魏書』巻112霊徴志上

(神瑞二年)三月,河西飢胡反,屯聚上黨,推白亞栗斯為盟主。

北魏の神瑞2年(415年)3月、オルドスの飢胡たちが上党に集結し、白アリスを盟主として反乱を起こした。白アリスは大将軍・大単于を号し、建平元年の元号を立てた。司馬順宰を謀主とした。4月、北魏の将軍の公孫表ら5将がこの反乱を討った。上党の反乱者たちはリスを廃して劉虎を立てた。劉虎は善王と号して反乱を率いた。劉虎と司馬順宰は、泰常元年(416年)9月に北魏の前并州刺史の叔孫建に敗れて殺害されたが、白アリスの終わるところは杳として知れない。

……以上、「白亞栗斯」を「白アリス」と読むなとか、せめて「バイヤリス」と読めとか、エイプリルフールは過ぎたよとかいうサカシラなツッコミは聞かない。後悔なんて、あるわけない。